
修学旅行で一度は訪れたことがあるかもしれない、長崎の「平和公園」。
原爆の悲劇を後世に伝え、世界の恒久平和を願う、祈りの中心地です。
多くの人が、この場所に対して「悲しい」「厳粛」「学ぶ」といったイメージを抱いているのではないでしょうか。
しかし、実際に訪れた人々の口コミを深く読み解いていくと、私たちの想像とは少し違う、意外な感想が数多く見つかりました。
「悲しい」という感情を超えて、多くの人が口にする「美しい」という言葉。
そして、この公園が持つ、あまり知られていない“もう一つの顔”とは?
口コミから、平和公園の真の魅力に迫ります。
悲しみを超えて。多くの人が口にする“美しい”という意外な感想
平和公園が持つ歴史の重みは、訪れる人々の心に深く刻まれます。
しかし、口コミで驚くほど多く見られたのは、その悲劇性だけでなく、公園そのものが持つ雰囲気に対するポジティブな言葉でした。
「来てよかった。悲しい歴史ある場所だが、とても美しく穏やかで謙虚な気持ちになれる、そんな場所。」
「正しい言い方ではないかもしれないが、全ての人にとってとても意味のある素敵な場所だと思う。」
原爆の脅威を示す天を指した右手と、平和を象徴する水平に伸ばした左手。
平和祈念像の前に立つと、多くの人がその圧倒的な存在感に心を揺さぶられます。
しかし、人々が感じているのは恐怖や悲しみだけではありません。
広く手入れされた公園、青い空、そして静かに祈りを捧げる人々の姿が一体となり、不思議と穏やかで、清らかな気持ちになれる空間だと多くの人が語っているのです。
ここは“平和の美術館”だった。世界中から届いた祈りの形
平和公園を「美しい」と感じさせるもう一つの大きな理由。
それは、園内に点在する世界各国から寄贈されたモニュメントの存在です。
「園内には、東西問わず様々な国から贈られた慰霊の像が立ち並んでおり、また、外国人の方が多く訪れており、世界のひとにこの出来事を伝えて行かねばと、平和を願い、こころあらたにした、よい学びの日となりました。」
「人類最悪の愚行に多くの人が影響を受け、心揺さぶる作品を作っている。」
旧ソ連や中国、チェコスロバキアなど、国も文化も違う国々から贈られた、平和を願う像や彫刻。
それらが緑の中に佇む様子は、さながら“平和の野外美術館”のようです。それぞれの作品に込められたメッセージに触れることで、長崎の悲劇が日本だけのものではなく、世界全体の祈りへと繋がっていることを実感できます。
祈りの場で出会う、ささやかで“甘い日常”。名物「チリンチリンアイス」の存在
厳粛な空気が流れる公園で、多くの訪問者の心を和ませている、もう一つの意外な存在があります。
それが、長崎名物「チリンチリンアイス」です。
「この日は晴天でとても暑い夏日、公園にはその炎天のさなか、真っ黒に日焼けしたおじいさんが(研修中の札がありましたが)チリンチリンアイスを売っており、妻と二人で頂きました。昔ながらのミルキーなアイスクリームが美味しかったです。」
祈りの場でアイス?と意外に思うかもしれません。
しかし、この素朴で優しい甘さのアイスクリームは、見学で少し疲れた心と体を癒やしてくれる、まさに“オアシス”のような存在。
悲しい歴史を学ぶ場で、変わらない“日常”を感じさせてくれるこのアイスの存在が、多くの人にとって忘れられない思い出の一部となっているのです。
【知られざる事実】この地が“刑務所跡”だったことを知っていますか?
最後に、この公園が持つ、あまり知られていない歴史に触れなければなりません。
「今回分かったのですが、この場所は以前刑務所だったようです。」
「被爆当時ここにあった刑務所の壁の残骸が駐車場近くにありリアルに悲劇を伝えています。」
そう、現在公園となっているこの場所には、かつて刑務所(長崎刑務所浦上支所)がありました。
公園の片隅に残る刑務所の遺構は、この土地が二重の悲劇の上にあることを静かに物語っています。
まとめ:「知る」ことで「祈る」場所へ
平和公園。そこは、ただ悲しいだけの場所ではありませんでした。
訪れる人々を包み込む穏やかな美しさ、世界からの祈り、そして今を生きる人々のささやかな日常がありました。
「日本人としていつかはいきたいと思っていた地」。もしあなたがそう思うなら、ぜひ一度訪れてみてください。歴史を「知り」、その上で今の平和を「感じる」ことで、あなたの祈りはより深いものになるはずです。