家賃を催促する大家さん
私は、フリーランスのライターとして独立したばかり。
聞こえは良いですが、現実は厳しく、仕事は不安定。
恥ずかしながら、アパートの家賃はいつも数日遅れで支払うのが常習になっていました。
「ピンポーン」
月末の夕方。
一番聞きたくない音が鳴り響きます。
ドアを開けると、案の定、大家さんが腕組みをして立っていました。
「あの、今月もすみませ…」
私が封筒を差し出すより先に、大家さんの厳しい声が飛んできます。
「家賃、毎月遅れてますよね？ 」
それが、私と大家さんのいつものやり取りでした。
彼は、このアパートの1階に住む60代ほどの男性。
いつもキッチリとした服装で、少しでも共用部分が汚れていればすぐに貼り紙を出すような、真面目で、厳しい人でした。
その日も、私は
「申し訳ありません」
と頭を下げ、なけなしのお金が入った封筒を渡そうとしました。
（今月も、また嫌味を言われる……）
そう覚悟した、その時です。
大家さんは、私が差し出した封筒を受け取らず、私の顔をじっと見ました。
「……顔色、ひどいですよ」
「え？」
「ちゃんと食べてますか」
予想外の言葉に、私は固まりました。
すると大家さんは、ため息を一つつき、持っていたコンビニの袋を私にグイッと押し付けたのです。
中には、お弁当とお茶が入っていました。
「今月は、もういいです」
「えっ！ でも、家賃…」
「今月は、いいって言ってるんです。それより、そんな顔で倒れられたら、こっちが寝覚めが悪い。これ食って、さっさと寝なさい」
訳が分かりません。
あの「毎月遅れてますよね？」が口癖の大家さんが？
私が呆然としていると、大家さんは「じゃあ」とだけ言って、さっさと階段を降りていってしまいました。
謎のやさしさ
一体、何が起きたのか。
翌日、私は恐る恐る、アパートの清掃をしていた大家さんに声をかけました。
「あの、昨日はありがとうございました。でも、家賃はちゃんとお支払いします」
すると大家さんは、掃除の手を止め、少し照れくさそうに言いました。
「いや……昨日、あんたの部屋の前、通りかかったらさ」
「はい」
「……電話、聞こえちゃってね。仕事、クビになったんだろ」
私は、息を呑みました。
昨日、私はまさに、単発の大きな仕事がキャンセルになり、電話口で泣きついていたのです。
「俺も昔、会社潰して、家族にひどい思いさせたからさ。……まあ、いいから。今月は」
「家賃、毎月遅れてますよね？」
あの言葉は、ただの催促ではなく、
「（こんなに遅れて）ちゃんと生活できてるのか」
という、不器用な心配の裏返しだったのかもしれません。
本記事はフィクションです。物語の登場人物、団体、名称、および事件はすべて架空のものであり、実在のものとは一切関係ありません。
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