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2025.06.04(Wed)

「心よりご冥福を」大谷翔平、長嶋茂雄との写真とともに追悼 野球界の伝説が旅立つ

大谷翔平の公式Instagram(@shoheiohtani)より引用

 

大谷翔平、SNSで追悼の意をしめす

プロ野球・読売ジャイアンツの三塁手として活躍し、「ミスター・ジャイアンツ」として知られた巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄さんが、6月3日午前6時39分、肺炎のため都内の病院で亡くなりました。89歳でした。読売新聞グループ本社および読売巨人軍が発表しました。葬儀・告別式は近親者のみで執り行われ、喪主は次女の長嶋三奈さん。後日、お別れの会も予定されています。

 

長嶋さんは今年3月15日、東京ドームで行われた巨人対ドジャースのプレシーズンゲームを訪れ、メジャーリーガーの大谷翔平選手を激励しました。試合後、大谷選手は自身のインスタグラムにツーショットを投稿し、「心よりご冥福をお祈りいたします」と追悼の言葉を添えました。

 

2022年9月には自宅で転倒し、脳内出血で入院。その後も慎重に治療を続けながら、昨年は愛弟子の阿部慎之助監督を激励するため、東京ドームをたびたび訪れていました。阿部監督は「球場に来ると元気になる。生きがいなんだなと感じた。うれしかった」と語っていました。

 

長嶋さんは1936年2月20日、千葉県佐倉市生まれ。立教大学から1958年に読売ジャイアンツへ入団すると、プロ初戦では国鉄・金田正一投手に4打席連続三振を喫しましたが、同年に打率.305、29本塁打、92打点で新人王と打点・本塁打の2冠に輝きました。1959年の天覧試合では阪神・村山実投手からサヨナラ本塁打を放ち、国民的スターの座を確立しました。

 

現役時代は首位打者6回、本塁打王2回、打点王5回、通算444本塁打・2471安打を記録。9年連続日本一に貢献し、王貞治選手との「ONコンビ」として日本プロ野球界を牽引しました。1974年の引退時には「わが巨人軍は永久に不滅です」という名言を残し、背番号「3」は永久欠番となりました。

 

翌1975年に監督に就任しますが、初年度は球団史上初の最下位に。苦しいスタートながら、翌年には張本勲選手らの加入もありリーグ優勝を果たしました。1993年に監督復帰すると、1994年には同率首位の中日との「10.8決戦」を制し日本一。2000年には王貞治監督率いるダイエーを下し、「ON決戦」を制しました。2001年に勇退し、監督通算成績は1034勝889敗59分でした。

 

2002年にはアテネ五輪日本代表監督に就任しましたが、翌年に脳梗塞で倒れ入院。長いリハビリの末、2013年には松井秀喜氏とともに国民栄誉賞を受賞しました。

 

日本のプロ野球を国民的スポーツへと押し上げ、野球を通して多くの人に夢と感動を与え続けた長嶋茂雄さん。その偉業と人柄は、これからも語り継がれていきます。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 

 

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