「父さん、やりがいも大事だけど、生活できないと意味ないよ」
リビングに、就職活動中の息子・大輝の、やけに冷静な声が響きました。その視線の先にいるのは、私の夫、雅。勤続25年、役職は係長のまま。出世に興味はなく、穏やかで優しい、良い父親。ですが、その優しさだけでは、この先の未来は描けないと、私はずっと前から気づいていました。
穏やかだったはずの、日曜の夜。その一枚岩の平和は、息子のたった一言で、脆くも崩れ去ったのです。
きっかけは、息子の「企業研究」
「第一志望の商社、初任給は普通だけど、30代で年収1000万は固いらしいんだ」
企業のパンフレットを広げながら、大輝が誇らしげに言いました。それに対し、夫がいつもの調子で諭します。
「大輝、給料だけが全てじゃないぞ。会社に長く勤めて、家族を養う。それが一番大事なんだ」
それは、夫が自分自身に言い聞かせてきた、長年の”聖域”のような言葉でした。しかし、今の息子に、その言葉は響きません。彼は、パンフレットから目を上げると、真っ直ぐに父親を見つめました。
「正直、父さんの年収じゃ、今の時代、子供一人大学まで行かせるのも結構厳しいと思う。俺、色々な会社の生涯賃金モデルを調べてるんだ。ごめん、でもこれが現実だよ」
食卓で勃発した、親子間の「年収バトル」
食卓の空気が、凍りつきました。
息子の言葉に、悪意がないことはわかっています。彼は、ただ就職活動を通して知った「事実」を、データとして述べたに過ぎない。しかし、その事実は、夫の25年間の会社員人生を、そして父親としてのプライドを、根底から否定するものでした。
「お前に何がわかる!」
夫が、声を荒らげました。
「俺がどれだけ真面目に働いて、お前たちを食わせてきたと思ってるんだ!」
「真面目に働いても、給料が上がらないなら意味ないよ!うちは、海外旅行に行ったこともないし、車だって、俺が子供の頃からずっとあのボロボロのセダンのままじゃないか!」
売り言葉に、買い言葉。二人の間に、これまで見たこともないような激しい火花が散ります。
夫の言い分は「安定こそが正義」。
息子の言い分は「低収入の安定は、ただの緩やかな貧困」。
私は、二人の間で何も言えませんでした。夫の優しさに支えられてきた日々も、パートを掛け持ちして家計の足しにしてきた現実も、どちらも、紛れもない私の人生だったからです。
壊れた日常と、夫の背中
あの日を境に、我が家から会話が消えました。大輝は必要最低限のこと以外、夫と口を利かず、夫もまた、リビングで一人、黙ってお酒を飲む時間が増えました。その背中は、以前よりもずっと小さく、寂しく見えました。
息子の言葉は、確かに残酷でした。しかし、それは同時に、私たちがずっと目を背けてきた現実でもあったのです。夫が避けてきた「出世」という競争。その競争社会のど真ん中に、今まさに息子は飛び込もうとしている。価値観が違って、当然でした。
数日後の夜、夫が、戸棚の奥から分厚いファイルを取り出してきました。それは、彼の過去20年分の給与明細の束でした。彼は、それを一枚一枚、テーブルに並べ、ただじっと見つめていました。ほとんど変わらない基本給の数字を、どんな思いで眺めていたのでしょうか。
バトルの果てに見えた、小さな光
「…大輝の言うことにも、一理あるのかもしれないな」
長い沈黙の後、夫がぽつりと呟きました。それは、謝罪でも、降参でもありません。しかし、彼が初めて、自分の”聖域”から一歩踏み出し、現実と向き合った瞬間でした。
その週末、夫は初めて、大輝の就職活動の相談に、真剣に耳を傾けました。「父さんの時代とは違うんだな」と呟きながら。大輝もまた、父親の世代が背負ってきたものの重さを、少しだけ理解したようでした。
親子間の「年収バトル」が、我が家から完全に消え去ったわけではありません。きっと、これからも私たちは、お金のこと、働き方のことで、何度もぶつかるのでしょう。
けれど、あの嵐のような一夜があったからこそ、私たちは初めて、家族という閉じた世界の中で、それぞれの価値観を本気でぶつけ合うことができたのです。それは、とても痛いけれど、我が家にとっては、未来へ進むための、新しい始まりだったのかもしれません。