出典:ぜんじろうX(@zenzenjiro)
ぜんじろう氏が高市首相の演説を批判。権力者による「潰される」発言の是非を問う
投開票を目前に控えた衆院選の熱気が高まるなか、スタンダップコメディアンのぜんじろう氏が放った一言が、ネット上で大きな波紋を広げています。事の発端は、高市早苗首相が応援演説で見せた、ある「弱気」とも取れる発言でした。
高市首相は、自身を取り巻く政治状況について、私を潰したい人がさまざまな画策をしてくると趣旨の説明を行いました。これに対し、ぜんじろう氏は自身のSNSで鋭く反応。国民の視点に立てば、むしろ日本を壊そうとしているのは首相側であり、さまざまな虚偽が散見されるのではないかと皮肉を込めて指摘したのです。さらに、強大な力を持つ権力者が自らを弱者に見せる振る舞いを「被害者芸」と一蹴し、その姿を「さもしい」と表現しました。
この「さもしい」という、どこか昭和の哀愁と毒が混じった言葉選びに、SNS上では即座に反応が分かれました。
ぜんじろう氏の意見に同調する側からは、
『まさにその通り。トップに立つ人間が被害者面をするのは違和感しかない』
『批判をすべて「潰そうとしている」とすり替えるのは、政治家としての説明責任を放棄しているのではないか』
といった、権力監視の視点からの冷ややかな声が目立ちました。
一方で、高市首相を支持する層や、ぜんじろう氏の表現手法に疑問を持つ層からは、
『言葉が汚すぎる。一国の首相に対して敬意がなさすぎるのではないか』
『芸人ならもっとユーモアで返す術はないのか。ただの悪口に聞こえる』
『実際に反対勢力からの攻撃は激しいのだから、事実を述べているだけだろう』
という、強い反発と擁護の声が噴出しています。
かつてお茶の間の人気者だったぜんじろう氏が、社会派のスタンダップコメディアンとして権力に噛みつく姿は、彼なりの芸風と言えるでしょう。しかし、今の日本社会において「政治的な毒」は、笑いとして消化されるよりも先に、鋭い対立の火種となってしまう傾向があります。
「自分を潰しに来る敵がいる」という主張は、支持者の結束を固める強力な武器になります。しかし、それが度を超せば、反対意見を持つ国民をすべて「敵」と見なす危うさを孕んでいます。ぜんじろう氏が指摘した「さもしさ」の正体は、対話よりも分断を選びがちな現代政治の縮図なのかもしれません。
有権者に求められているのは、政治家の言葉の裏にある真意を見極める、冷静な審美眼ではないでしょうか。














