
戊辰戦争の悲劇、白虎隊の物語…。日本の歴史の中でも、特に多くの人々の心を揺さぶる地、会津。その象徴として凛とそびえ立つのが「鶴ヶ城(つるがじょう)」です。
桜や紅葉の名所としても知られ、多くの観光客で賑わうこの名城。
しかし、その口コミを深く読み解くと、「内部はただの博物館」「お城らしい雰囲気はあまりない」といった、少し“がっかり”したという声も少なくありません。
果たして、鶴ヶ城は再建されただけの“コンクリートのお城”なのでしょうか?
実際に訪れた人々のリアルな口コミを徹底的に調査すると、この城が持つ国内で唯一無二の特徴と、多くの人が見過ごしている「知の要塞」としての真の価値が見えてきました。
なぜ、ここの瓦は“赤い”のか?天守閣では国内唯一の赤瓦天守
まず、この城が他の日本の城と一線を画す、最大の特徴。それは、天守閣を彩る「赤瓦(あかがわら)」の存在です。
「20年程前と大きく違っていたのは、屋根瓦が赤瓦に葺き替えられていたことです。それまでの黒色と比べて、天守閣全体がおだやかな感じに見えました。」
「現在、この赤瓦を用いた天守閣を見ることができるのは、鶴ヶ城だけなんですよ。」
実はこの赤瓦、雪国である会津の厳しい冬に耐えるため、この地で開発された特別な瓦。
幕末当時に実際に使われていたこの赤瓦を、平成の改修で忠実に再現したのです。
白い城壁とのコントラストが美しく、「国内で唯一」というストーリーを知ると、その優美な姿がより一層、特別なものに見えてきます。
「趣がない」vs「学びがある」。天守閣の“内部”を巡る、賛否両論
鶴ヶ城の評価が分かれる最大のポイントが、天守閣の“内部”です。
「良くも悪くも新しくキレイなお城です。(中略)お城らしい雰囲気はあまりなく、中には趣に欠けると感じる方もいらっしゃるかもしれません。」
「復元天守であり内部は当時の雰囲気は一切ない味気ないもの。」
そう、現在の天守閣は昭和に再建されたもので、内部は鉄筋コンクリート造りの郷土博物館になっています。昔ながらの木の温もりや、きしむ床を期待していくと、「快適すぎる」と感じてしまうかもしれません。
しかし、この“博物館であること”こそが、鶴ヶ城の最大の魅力だと絶賛する声が、実は圧倒的に多いのです。
「会津の歴史を学べます。蒲生氏郷をはじめとする戦国時代や、幕末の会津の悲劇に興味がある方にはとても面白い展示だと思いました。」
「今まで各地のお城を巡りましたが、天守閣に登る間に、資料を学びながら、登ったのが初めてで、それがとても良かったです。」
歴代城主の変遷から、戊辰戦争の激動、そして近代に至るまで。会津の波乱万丈な歴史が、階層ごとにテーマ分けされ、非常に分かりやすく展示されています。ここは、ただの城ではなく、会津の魂に触れるための「知の要塞」なのです。
天守閣から望む、会津の歴史。遥か先に“飯盛山”を見る
そして、歴史を学びながら最上階にたどり着いた時、目の前に広がる会津盆地のパノラマは、特別な意味を持って目に映ります。
「白壁に赤瓦。美しい姿と悲しい歴史。天守閣に登るのは苦労しましたが、遠く聳える磐梯山とその手前に佇む飯盛山。会津の人にとって、この城がどんなに大切なものなのか 分かるような気がします。」
「天守最上階は展望台になっており、360度の視界で会津若松市を眺める事が出来る様になっています。」
口コミにもあるように、天守閣からは、あの白虎隊が自刃した「飯盛山(いいもりやま)」を遥かに望むことができます。城内で学んだ悲劇の物語と、眼下に広がる実際の土地が繋がった瞬間、会津の歴史がより深く、心に刻まれるはずです。
まとめ:「知る」ことで、もっと美しくなる城
鶴ヶ城。それは、古い木造の風情を求める場所ではないかもしれません。
しかし、日本唯一の赤瓦を纏い、その内に会津の誇りと悲しみの物語を深く刻み込んだ、唯一無二の名城でした。
「会津の心」とも呼ばれるこの城は、ただ「見る」だけでなく、その歴史を「知る」ことで、何倍も美しく、そして尊く見えてくる。そんな、知的好奇心と心を揺さぶる旅を約束してくれる場所なのです。