慣れ親しんだ日常の味が「少し遠い存在」になる戸惑い
カレーハウスCoCo壱番屋の価格設定を巡り、インターネット上でさまざまな意見が飛び交っています。発端となったのは、あるチェーンストア研究家が指摘した「贅沢をしている感覚がないのに支払額が高くなる」という分析でした。トッピングを自由に組み合わせる楽しさが魅力の同店ですが、気づけば会計が1,500円を超えていたという経験を持つ人は少なくありません。
かつて「安くて早い」の象徴だった外食チェーンにおいて、1,000円という大台は心理的な境界線として機能しているようです。SNSでは、日々のランチや夕食に利用するユーザーたちの切実な本音が漏れ聞こえてきました。
「ココイチは好きだけどトッピングを頼むとあっという間に1,500円近くになるのは確かに高いと感じる」
「昔の感覚で店に入るとレジで驚く。でもあの味が唯一無二だから結局行ってしまう」
「高級店なら納得できるが慣れ親しんだチェーン店だからこそ心理的な抵抗があるのかもしれない」
こうした声の数々は、単なる金銭的な負担への不満というより、生活に密着した存在が変わっていくことへの寂しさを含んでいるようにも見えます。
一方で、現在の物価高騰という社会情勢を冷静に受け止める層からは、異なる視点の意見も上がっていました。
「今の時代にこのクオリティを維持するなら妥当な金額ではないか」
「自分の好きな味にお金を払うのは当然だし高く感じるなら行かなければいいだけの話」
企業努力だけでは抗えないコスト増への理解と、ブランドへの信頼が混ざり合った複雑な感情がそこにはあります。
この「割高感」が生まれる背景には、私たちの心の中にこびりついたデフレ時代の残像があるのではないでしょうか。お腹を満たすためだけの食事なら他にも選択肢はあるけれど、どうしてもあの黄色い看板に吸い寄せられてしまう。自分だけのお気に入りのトッピングを選び、カスタマイズする瞬間の高揚感は、何物にも代えがたい価値があるはずです。
物価が上がり続ける今、私たちは「何に価値を感じてお金を払うのか」を常に突きつけられています。一杯のカレーがもたらす満足感と、財布から出ていく数枚の小銭。その天秤が揺れ動く中で、私たちが選ぶ答えは一つではありません。
変化を受け入れながら、自分なりの「納得できる贅沢」を探していく時期に来ているのかもしれません。














