
20年以上不法滞在の末に強制送還──クルド人マヒルジャン氏をめぐる波紋
日本で20年以上にわたって不法滞在していたクルド人男性・マヒルジャン氏がトルコへ送還されたことがSNSを中心に大きな話題となっています。
6回にわたる難民申請、度重なるメディア露出、物議を醸した発言、そして「改正入管法」施行直後のタイミング――多くの要素が重なり、社会的議論を呼んでいます。
なぜ彼がここまで注目されたのか?
マヒルジャン氏は、これまでに6度の難民申請を行ったものの、すべて却下されていた人物です。
入国管理局にとっては長年にわたる“要注意案件”でもありましたが、全国的にその存在が知られるようになった背景には、AbemaTVなどでの発信が頻繁に行われていたことが挙げられます。
放送内では、難民としての体験を語る一方で、「入管を爆破しろ」と受け取れる発言も飛び出し、それが大きな物議を醸しました。
一部視聴者からは、「危険人物では」「制度を軽視しすぎ」といった否定的な声が上がる一方、「追い込んだ日本社会にも問題があるのでは」とする擁護も見られました。
“改正入管法”とのリンク──象徴的な送還?
今回の強制送還は、2025年7月に施行されたばかりの「改正入管法」の影響を受けたと見られています。
同法により、3回以上難民申請を行った者には在留の猶予が認められず、退去命令が即時適用される仕組みに。
長年グレーゾーンにとどまっていた彼のようなケースは、「新制度適用の象徴」として解釈されやすくなっています。
また、政治的な文脈でこの送還を捉える動きもあります。
選挙戦に向けて「厳格な法執行」を印象づけるためのアピールと見る向きもあり、タイミングの妙が指摘されています。
市民の声:評価と疑問が交錯
SNS上では、次のような意見が多数投稿されています。
「やっと法がちゃんと機能した感じ」
「日本はこれまで甘すぎた、これが正常化」
「送還自体は当然。でもこの見せ方はパフォーマンスっぽい」
「感情論よりも制度設計の方が大事」
「人権」や「正義」ではなく、「制度運用」の在り方が議論の焦点になりつつあることがわかります。
問われているのは、日本の“移民観”そのもの
この送還劇が浮き彫りにしたのは、一個人の不法滞在という問題以上に、日本社会全体が移民や難民にどう向き合うかという姿勢です。
今回の一件で示された「厳格さ」は、制度の実効性という意味では一定の成果かもしれません。
しかし一方で、「柔軟性を欠いた排除主義」と受け取る向きもあり、受け入れの在り方自体を見直す契機ともなっています。
マヒルジャン氏の送還は、“解決”ではなく、日本における移民制度の未来を考えるスタート地点に過ぎません。
今後同様の事例が増えると予想される中で、果たして日本は“排除”か“共生”か──その選択が迫られています。