三部とる新聞
私は、夫の実家で義母と二人暮らしをしています。
義母はとても優しく、日々の生活で感謝することばかりなのですが、一つだけ、理解できないマイルールがありました。
それは、「新聞は三部とるのが常識」という主張です。
毎朝、玄関先に積み重ねられた三束の新聞(全国紙、地方紙、スポーツ紙)を見るたびに、「本当に三部も必要ですか?」と尋ねてしまいます。
資源の無駄遣いにもなりますし、何より購読料がもったいないからです。
私がそう切り出すと、普段は穏やかな義母は、珍しく声を荒げました。
「何を言っているの!一つは『読む用』、一つは『切り抜き用』、そして、もう一つは大事な人にあげる用なのよ!」
夫は仕事で単身赴任中。
他に義母が新聞を贈る相手がいるのか、私は疑問に思っていました。
三部目の新聞を贈る相手
ある日、義母が留守の間に、三部目のスポーツ新聞が置かれている部屋を覗きました。
そこは、すでに亡くなっている義父の書斎です。
義母は毎日欠かさず、読まれることなく真新しい新聞を、部屋の机の上に広げていたのです。
そして、その新聞の余白には、義母の筆跡で日付と短い一言が添えられていました。
亡き義父は大の野球好き、そして熱心な将棋ファンでした。
「今日は〇〇さんのホームランだよ」
「昨日の将棋、また勝ったね。すごいね」
三部目の新聞は、義母が亡き義父のために毎日欠かさず用意していた「お供え物」であり、「近況報告」だったのです。
世間から見れば意味不明な主張でも、義母にとっては、亡き義父との大切な日常を繋ぐ愛の儀式でした。
三部の新聞代は、義母の深い愛情の証だったのです。
それ以来、私は義母の「常識」について、一切口出しすることをやめました。
この家では、三部の新聞が愛の証として、そっと玄関先に届き続けています。
本記事はフィクションです。物語の登場人物、団体、名称、および事件はすべて架空のものであり、実在のものとは一切関係ありません。
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