出典:写真AC
行政の過剰な忖度が招いた食育の敗北
東日本大震災から歳月が流れる中で、被災地・福島県いわき市で起きた給食廃棄問題が、ネット上で激しい論争を巻き起こしています。卒業を控えた中学3年生を祝うために用意された「お祝い献立」の赤飯2100食が、提供当日の午前中にすべて廃棄されるという、前代未聞の事態が発生したのです。
事の発端は、3月11日の朝、市立中学校にかかってきた一本の電話でした。震災で家族を亡くしたという匿名人物から、この日に赤飯を出す経緯について問いあわせがあったといいます。市教育委員会の説明によれば、電話の主は決して高圧的ではなく、廃棄を強く迫ったわけでもありませんでした。しかし、この「お気持ち」を察した教育委員会の幹部たちは、わずか1時間足らずの協議で、震災の日に赤飯を供するのは不適切であると断じ、全量廃棄を決定したのです。
この決定により、生徒たちの机に並ぶはずだった炊きたての赤飯は、防災備蓄用の缶詰パンへと差し替えられました。お祝いの席が一転して、非常食を口にする場へと変わった光景は、あまりに皮肉です。いわき市の内田広之市長も自身のSNSで「もったいない」と苦言を呈しており、行政トップと教育現場の温度差も浮き彫りになりました。
本来、赤飯は古来より魔除けや災いを払う意味も込められたハレの日の食事です。義務教育を終え、新しい世界へ羽ばたく子供たちへのエールだったはずですが、行政は「誰かからの批判」を恐れるあまり、本来の目的を見失ってしまいました。SNSでは、匿名の一意見に屈して多額の税金が投入された食材を捨てた判断に対し、厳しい批判が相次いでいます。
『クレーム電話一本で、2100食の食材をいとも簡単に廃棄判断する教育委員会の組織が異常』
『2100食の財源は市民の税金。今回の廃棄に至る経緯や判断した役職を明らかにすべき』
『卒業生のこれまでの努力を讃える場で赤飯を出してどこが悪いのか。鎮魂と祝いは両立できるはず』
『電話した人は廃棄までは求めていなかったというが、当日の朝に言えばどうなるか想像できたはず』
『震災の教訓を伝えるべき教育委員会が、食べ物を粗末にするという最悪の教育を行っている』
震災の悲しみは、今なお多くの人々の心に深く刻まれています。
しかし、その悲しみに配慮することと、子供たちの門出を祝う善意を否定し、物理的な損失を生むことは別物ではないでしょうか。














