
7月25日は「最高気温記念日」って知ってた?
1933年(昭和8年)7月25日、山形県山形市で国内史上初となる40℃超え「40.8℃」を記録。
このときの記録は、その後74年にわたって"日本の最高気温"として君臨していました。
そのため、7月25日は「最高気温記念日」として残されています。
今より涼しいはずの昭和時代に40.8℃!?
気になるのは、「昭和初期の日本でそんなに暑かったの?」という点。
当時はエアコンどころか、扇風機すら普及率が低かった時代。
でも実際、この年の夏は全国的な"異常高温"で、山形以外でも37℃〜39℃台を記録。
さらに
・フェーン現象(熱風)が強く吹き下ろした
・雨が少なく、土壌の水分が極端に減っていた
・記録当日は無風&快晴で熱がこもりまくった
…といった要因が重なり、山形が「灼熱都市」と化したといわれています。
この記録、本当に正しかったの?
一時期、「観測ミスだったのでは?」という説も出ました。
理由は当時の気温計が屋外にむき出しで設置されていたため、太陽光の影響を受けていたのでは…と。
しかし、気象庁はその後の調査で「観測値は妥当」と結論づけ。
現在でも公式記録としてしっかり残されています。
この記録を破ったのは、熊谷と多治見
2007年:岐阜県多治見市が40.9℃を記録
2018年:埼玉県熊谷市が41.1℃を記録し、現在の日本最高気温に
昔の人はどう暑さに耐えていたの?
昭和初期の人々は、今のようにエアコンや冷蔵庫がなかった時代に、知恵と工夫で夏を乗り切っていました。
たとえば、すだれや打ち水を使って家の外気温を下げたり、風通しを良くすることで涼しさを確保していたのです。
飲み物や野菜などは、川の流れや井戸の水を活用して冷やし、自然の力を借りる暮らしをしていました。
昼間の気温が高い時間帯は、あえて活動を控えて昼寝をするなど、いわば"日本版シエスタ"のような文化も見られました。
そして何より、「暑さは我慢するもの」という精神論も根強く、今よりも耐える夏が当たり前だった時代とも言えます。
とはいえ、熱中症という概念がなかった時代で、亡くなった人も少なくなかったとされています。
まとめ|7月25日を暑さと向き合う日に
日本は今、かつてない"暑さの時代"に突入しています。
でも、約90年前の人たちも同じように灼熱の夏を経験していました。
そんな事実を知ることで、「暑さを軽く見ない意識」にもつながるはず。
補足:この「最高気温記念日」という言い方は正式な国の記念日ではありませんが、
昭和8年の記録的猛暑を記念する"気象トリビア"として広く紹介されています。