元フジ渡邉渚の「日本は性欲に甘い」という嘆きに、イタリア在住の清水晴子氏が反論
元フジテレビアナウンサーの渡邉渚さんが、連載エッセイで綴った日本の性意識に対する猛烈な批判が、海の向こうからの「正論」によって新たな議論を呼んでいます。
渡邉さんは、タイ人少女が被害に遭った性的搾取事件を機に、自身が会社員時代に目撃したという、風俗利用を自慢する男性や女性を蔑視する中年男性たちの実態を暴露。「日本は性犯罪に甘い」「治安が良いなんて言えない」と、日本の現状を「キモすぎる」と一喝しました。この叫びは、日々不安を抱える多くの女性たちの共感を呼んだ一方で、過激な言葉選びに戸惑う声も上がっていました。
この主張に冷や水を浴びせたのが、イタリア・フィレンツェを拠点に活動するオペラ歌手の清水晴子氏です。清水氏は自身のSNSで、欧米の地下鉄では居眠りなどすれば命に関わる暴行を受けるリスクがあるという「戦場」のような現実を提示。日本で痴漢という言葉が成立すること自体が、実は世界的に見て異常なほど安全である証拠だと説きました。
この対立に対し、SNS上では双方の視点に激しい反応が巻き起こっています。
『渡邉さんの言う通り、卑劣な行為が「痴漢」という軽い言葉で片付けられる空気感こそが問題。清水さんの比較は単なる不幸自慢に聞こえる』
『海外が酷いから日本はマシ、という論理では解決にならない。日本の男性の理性に敬意を払えというのは、被害者感情を無視しすぎではないか』
『清水氏の指摘は冷静。99%の善良な男性まで加害者扱いするのは行き過ぎ。夜道を一人で歩けるのは、日本の民度が高いからこそ』
『どちらの言い分も分かる。ただ、渡邉さんの言葉は少し感情的すぎて、対話を拒絶しているように見えてしまうのが勿体ない』
確かに、清水氏の指摘するように、日本の治安が世界屈指のレベルにあることは揺るぎない事実でしょう。しかし、それを理由に、渡邉さんが訴えたような「女性を道具のように扱う文化」や「性犯罪への認識の甘さ」を容認していいことにはなりません。清水氏の主張は「生命の安全」というマクロな視点であり、渡邉さんの主張は「尊厳の侵害」というミクロかつ精神的な視点です。
「命が助かっているのだから、小さな被害には目を瞑れ」と言わんばかりの論理は、今の日本社会では少々乱暴に映ります。
一方で、渡邉さんのように日本全体を「キモい」と断罪し、真面目に生きる多くの男性まで敵に回すような物言いが、本来解決すべき課題を遠ざけている側面も否定できません。














