「次もそろそろどう?」帰省のたびにかけられる義実家の遠回しの圧→今の人数で十分な私の中の本音
義父が口にした、お茶の間の何気ない一言
義実家のお茶の間は、ストーブの上でやかんが鳴っている空間だ。
義父は和室の上座、いつもの定位置。
テレビは音量小さめ、夕方のニュースが流れている。
その日も帰省の二日目、私は子供たちと一緒にこたつでみかんを食べていた。
湯呑みを置いた義父が、孫たちのほうを目で追いながら、誰に言うでもなく口を開いた。
「次もそろそろどう?」
子供たちはみかんに夢中で気にも留めていない。
台所の義母が、ふっと顔を上げてこちらを見たのが視界の端に映る。
夫は隣で携帯を見ていて、聞こえなかったふりをしている。
私は笑顔のかたちだけ作って、「あはは」と曖昧に流した。
義父はそれ以上重ねてこない。代わりに、義母が台所から出てきて言葉を継ぐ。
「子供は3人くらいがバランスいいって言うものね」
連携プレーのように、夫婦で同じ方向の話題を投げてくる。
夫婦で出した結論と、外野の善意の重さ
うちの子は2人。私たち夫婦にとって、ちょうど手の届く範囲で愛情を注げる人数だ。
40代に入った私の体調、夫の労働時間、家計、教育費の見通し。
すべてを並べて考えた結果、「2人で打ち止め」という結論に夫婦で行き着いた。後悔はない。
でも義実家にとって、子供の数はもっと素朴で、もっと感情に近い話題なのだと思う。
「孫が増えたら賑やかになるのに」
「兄弟は多いほうが将来助け合えるわよ」
「うちは3人兄弟だったから楽しかったのよ」
遠回しに、優しい口調で、何度も同じ方向に水を向けられる。
悪気はない。むしろ、孫を増やしたいというのは祖父母として自然な気持ちなのだろう。
だからこそ困る。
正面から「もう産みません」と言えば、お茶の間の空気が一瞬で凍る。けれど何も言わずに笑って受け流すと、また半年後に同じ場面が再生される。
夫が間に入ってくれるかというと、彼にとっても自分の親に対して切り出しにくい話題らしく、決まって苦笑いで終わる。
結局、私が一人でこの「善意の圧」を受け止め続ける構図になっている。
帰りの新幹線、子供たちが寝息を立てる横で、私はぼんやり窓の外を見ていた。
愛されているのは、たぶん本当だ。
でもその愛が、私の中の「これで十分です」という静かな本音を、毎回そっと押し戻してくる。次の帰省までに、私はまたこのモヤモヤを薄めて笑顔を作るのだろう。
※tendが独自に実施したアンケートで集めた、40代・女性読者様の体験談をもとに記事化しています
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。














