
通知表廃止で教師の負担軽減と子供の主体性を守る?岐路に立つ日本の学校教育と家庭の不安
静岡県掛川市や岐阜県美濃市など、一部の自治体で小学校の通知表を廃止する動きが広がっています。2026年度から低学年を中心に本格化するこの取り組みは、教師の働き方改革や子どもの自己肯定感向上を目的としていますが、家庭からは戸惑いの声も上がっています。
かつては学期末の風物詩だった通知表が、なぜ今その姿を消そうとしているのでしょうか。教育現場の切実な事情と、揺れる保護者の心情に迫ります。
日本の小学校において、通知表の作成は法律で義務付けられたものではありません。各学校や教育委員会の判断で運用が可能であり、近年その存在意義が改めて問われています。
背景にある大きな要因の一つが、教師の過酷な業務負担です。通知表、特に所見欄の作成には膨大な時間が費やされます。ある元教師は、管理職による内容のチェックや修正の繰り返しが大きな負担だったと振り返り、その時間を子どもと向き合う時間に充てたいと本音を漏らしています。
また、評価の基準が曖昧であるという指摘も根強くあります。現在は数字による評価ではなく、知識や思考、態度といった観点別評価が主流ですが、そこに教師の主観が入ることは避けられません。特に生活面の評価については、教師にとって都合の良い子が優遇されやすいという構造的な問題も指摘されています。
SNSでの肯定的な層からは、
『この時期に過度な評価や序列がつくと、点を取るための勉強や自己否定につながりやすいのも事実だと思います』
『通知表作成の負担が減れば、子どもたちと関わる時間が増えるでしょう』
といった声が聞かれます。
一方で、現状の評価制度への疑問や不安を抱く声も少なくありません。
『今の通知表は3段階で2の範囲があまりにも広すぎる。できなくても、頑張っても、記録に残りにくい』
『将来的に社会や他人と関わっていかざるを得ない以上はそうした情報も必要になってくる』
『社会に出れば評価されるのが当たり前です』
など、客観的な指標がなくなることで子どもの現在地が分からなくなることを危惧する声も目立ちます。
通知表という紙の束がなくなることで、親と子が点数に一喜一憂する時間は減るかもしれません。
しかし、それは決して教育の放棄ではなく、数字や記号では測れない子どもの可能性を信じ、より深く対話するための第一歩であると信じたいものです。














