「こういうの、早い者勝ちでしょ」空いた席に年配女性より先に座った男性。注意できなかった気まずい空気
空いた一席に、先に腰を下ろした人
今年の春、朝の混み合った車内でのことです。私はドアのわきの手すりにつかまって立っていました。
少し離れた長い座席の前には、四十代くらいの男性が立っていました。片手でつり革を持ち、もう片方の手ではずっとスマートフォンを見ています。まわりには仕事へ向かう人たちが並び、車内はいつものように静かでした。
次の駅で、年配の女性が乗ってきました。歩幅は小さく、空いている場所を探すようにゆっくり車内を見ています。そのとき、ちょうど座席の端が一つ空きました。
近くにいた乗客が、女性に気づいて声をかけました。
「あ、そこ空きましたよ。よかったら」
けれど、女性が一歩動くより先に、その席の前に立っていた男性がするりと腰を下ろしました。
声をかけた人は少し困った顔をして、男性に言いました。
「すみません、あの方が座るのかと思って…」
すると男性は、顔を上げて短く返しました。
「俺もずっと立ってたんで」
それだけなら、まだその場も流れたのかもしれません。けれど男性は、まわりの空気を感じたのか、少し間を置いて言い足しました。
「早い者勝ちじゃないの?」
その言葉に、誰もすぐには返せませんでした。年配の女性は気まずそうに小さく笑って、
「大丈夫です。つかまってますから」
と手すりへ手を伸ばしました。
気まずい空気
男性はそれでも落ち着かないのか、窓の外を見るような顔で、もう一度だけ言いました。
「こういうの、早い者勝ちでしょ」
今度は、さっきより少しだけ大きな声でした。
私は何か言えたらよかったのにと思いながら、結局、自分の足元を見ることしかできませんでした。まわりの乗客たちも、黙ったままつり革を握ったり、視線をそらしたりしています。
年配の女性は、そのまま座席の前に立ち続けました。男性も席を立つことはありません。
それから私が降りるまでの数駅、車内は妙に静かなままでした。誰かが怒ったわけでも、言い返したわけでもありません。ただ、ひとつの言葉のあとに残った気まずさだけが、車両の中にしばらく漂っていたのを覚えています。
あの朝に強く残ったのは、席を取った人への怒りよりも、何も言えずにいた自分を含めた、車内全体の重たい沈黙でした。
※本記事は、tendが独自に実施したアンケートで寄せられた30代男性読者の体験談をもとに、プライバシーに配慮し、人物・状況・会話表現などを一部編集・再構成して記事化しています
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。














