「何も持っていませんけど」旅館の出口でしらを切った母親。だが、子供の一言で状況が一変
トングを差し出された朝
数年前の夏、家族で旅館に泊まったときのことです。
朝食のバイキングで、となりの席には40代くらいの母親と父親、小学生くらいの男の子と女の子がいました。
母親は何度も料理台へ行き、ロールパンやオレンジをたくさん運んできます。食事が進んでも、テーブルの端には手つかずのパンがいくつも残っていました。
しばらくすると、女の子が一人でパンを取りに行きました。ところが、トングを使わず、並んでいるパンを指先で触りながら選んでいます。
それに気づいた旅館の係の女性が近づき、女の子にトングを差し出しました。
「こちらを使ってくださいね」
すると母親が、すぐに口を挟みました。
「子どもだから仕方ないですよ」
係の女性は言い返さず、女の子が触れたパンを静かに取り下げました。
バッグに入っていくパン
食事の終わりごろ、父親が先に席を立ちました。
すると母親は、テーブルに残っていたパンを集め、大きなバッグへ入れはじめたのです。
となりにいた男の子が、不思議そうに聞きました。
「それ、持って帰っていいの?」
母親は手を止めません。
「パンを残すなんてもったいない、持って帰るわよ」
「でも、ここのパンって…」
「料金に入ってるの。払った分は、うちのものなんだから」
そう言って、今度はバナナまでバッグに入れました。
私が思わず見ていると、母親はこちらに気づいたようです。
「見てたって、あげないわよ」
突然そう言われ、私は返す言葉がありませんでした。隣にいた夫にひじを引かれ、そのまま視線を落としました。
出口で息子が口にしたこと
食事を終えて会場を出ようとすると、少し前をあの母親と子どもたちが歩いていました。母親の肩には、パンやバナナを入れたバッグがあります。
出口には、先ほどの係の女性が立っていました。
「お客様。お料理のお持ち帰りは、ご遠慮いただいております」
母親は目をそらしたまま答えました。
「何のことかしら。何も持っていませんけど」
そのとき、男の子が母親を見上げました。
「ママ、さっきバッグに入れたパンのことだよ」
よく通る声に、母親は言葉を失いました。
少しの沈黙のあと、母親はバッグを開け、パンとバナナを取り出します。そして、係の女性が持っていたかごへ一つずつ戻しました。
「ありがとうございます」
係の女性はそれだけ言って、静かに頭を下げました。
母親は子どもたちと一緒に、そのまま早足で廊下へ向かっていきました。
母親を言い負かそうとしたわけではない男の子の素直な一言が、妙に印象に残った朝でした。
※本記事は、tendが独自に実施したアンケートで寄せられた30代女性読者の体験談をもとに、プライバシーに配慮し、人物・状況・会話表現などを一部編集・再構成して記事化しています
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。














