「こういうものだから」誰も命じないのに台所へ吸い込まれていく女性陣→夫に伝えても変わらなかった一日
命令されたわけではないのに
義実家での親戚の集まりの日。料理が並び始めた頃、私は義姉や義叔母と一緒に台所に立っていました。義母から最初に頼まれたのは、ほんの一言です。
「ちょっと手伝ってね」
それなのに、いつの間にか女性だけが台所に集まり、男性陣はリビングで麦茶やビールを片手にテレビを眺めている。そんな構図ができあがっていました。
洗い物の手を止めない義叔母が、ため息まじりにつぶやきました。
「こういうものだから」
その一言で、私は固まってしまいました。違和感を抱いていたのは私だけじゃなかったのに、誰もそれを口には出さない。
台所の蛇口から流れる水の音だけが妙に大きく響いて、手を止められませんでした。
夫に伝えてみた、けれど
取り皿を運ぶふりをしてリビングに出て、夫の隣で小さく声をかけました。
「ねえ、台所こっちだけで回してるんだけど」
夫は気づいた顔をしてくれました。それでも腰は浮きませんでした。
場の空気を壊したくなかったのか、義父や義祖父たちの手前なのか、当日のうちに動くことはなかったんです。
結局、煮物の温め直しから後片付け、湯飲みを洗うところまで、ほとんど女性陣で回しました。
私が一番動き、一番汗をかき、最後に椅子に座ったときには夕方の光が傾き始めていました。
誰も悪気はないのかもしれない。でも誰も得をしないこの空気を、変えたいと思いました。
後日、少し変わった空気
家に帰ってから、もう一度夫に話しました。
今日のあの空気はおかしいよと。
夫はそのときは黙っていましたが、後日、義母にそっと話してくれたようです。
次の集まりでは、義父が小鉢を運んでくれる場面がありました。
義弟もコップを下げてくれました。
劇的にではないけれど、少しずつ空気が動き始めています。
それでも、あの日に飲み込んだ違和感は今も胸の奥に残ったままです。
一度動き出してしまえば変えられるのに、なぜ最初の一歩がこんなにも重かったのか。考えると、まだ答えが出ません。
義母も義父も、悪い人ではありません。ただ「こういうものだから」という空気の中で長く過ごしてきただけ。
だからこそ、誰も悪者にしたくなかった。それが余計に苦しかったのかもしれません。
次の集まりまでに、私はもう少し自然な形で手を抜く方法を考えています。
お惣菜を持参する、後片付けは持ち回り制を提案する。小さな仕掛けを少しずつ重ねていけば、いつか空気はもっと軽くなると信じたい。台所の入口で立ち止まらずに済む日が、いつか来てほしいと願っています。
※tendが独自に実施したアンケートで集めた、30代・女性読者様の体験談をもとに記事化しています
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。














