「私のほうが先に幸せになったね」久しぶりに会った旧友のマウント。だが、旧友に待っていた悲しい結末とは
「先に幸せになった」という言葉が始まりだった
ひさしぶりに会ったとき、旧友はこう切り出した。
「私のほうが先に幸せになったね」
10歳年上のパートナーとの結婚、そして妊娠の報告だった。
嬉しいニュースのはずなのに、「先に」という一言が妙に引っかかった。祝福の言葉を返しながら、その感覚をうまく言語化できなかった。
それ以来、2年近く、旧友との会話は決まったパターンをたどるようになった。
子育ての充実ぶり、夫の仕事の安定感、家の広さ。話が一段落すると、決まって同じ質問が飛んでくる。
「まだ独り?」
悪意があるとは思いたくなかった。
でも積み重なるにつれて、会うのが億劫になっていった。帰り道に疲れを感じるようになり、誘いを断ることも増えた。
それでも旧友からの連絡はやまなかった。共通の知人を通じてランチに呼ばれることもあり、断りにくい状況が続いた。
知人からのひと言が届いた日
やりとりを少しずつ減らしていたある日、共通の知人から連絡が来た。
旧友がすでに離婚していることを教えてくれたのだ。出産前のことだったという。
思わず、言葉が止まった。幸せそうに語り続けていた旧友の顔が頭をよぎった。
あの「先に幸せになった」という言葉が、まったく違う意味を帯びて響いた。
傷ついていたのは自分だけでなかったのかもしれない、とも思った。
胸のつかえが、静かに晴れた。怒りではなく、あの2年間が報われたような感覚だった。あれだけ比べられ続けた時間が、ようやく終わりを告げた気がした。
足元を見る、という気づき
旧友が嘘をついていたとは思わない。
ただ、誰かと比べることで自分を保とうとしていたのかもしれない。そのはけ口が、たまたまそばにいた自分だっただけで。
それからは、人と比べることに費やしていた気力を、自分の毎日に向けるようになった。
仕事の合間に行きたかったカフェに行き、週末を自分のペースで過ごせるようになった。
誰かの基準で自分を測ることが、ずいぶんと減った。
旧友への連絡はしていない。でも、恨んでもいない。
ただ、もう誰かの「幸せの基準」に引きずられない自分になれた気がする。見えない場所で誰かが踏ん張っていることを知った日から、人の生活を羨む気持ちが、少し変わった。
※tendが独自に実施したアンケートで集めた、40代・女性読者様の体験談をもとに記事化しています
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。














