「独身って毎日好きに生きられていいよね」育児に疲れた職場の元同期。だが、元同期の言葉に抱えたジレンマ
10年来の同期と久々に会った日
同期入社から10年以上になる。
今は別々の職場に転じたが、それでもときどき連絡を取り合い、近くのカフェで顔を合わせる間柄だ。
その日も、どちらからともなく「最近どう?」とメッセージが届いて、平日の昼休みに落ち合うことになった。
久しぶりに顔を見て、近況を話すだけで少し気分が上向く感じがあった。
「独身って毎日好きに生きられていいよね」
パスタを半分ほど食べたところで、同期がそう言った。
子どもの保育園の送り迎えと夫の帰宅時間が重なって最近ろくに眠れていないという話の続きだった。目の下にうっすらと疲れの影があった。
(好きに生きている、か…)
何か反論したいような、でも言葉にならないような感覚で、ただ笑顔を作った。コーヒーに口をつけながら、次の言葉を探した。
「大変だね」しか言えなかった理由
同期が嘘をついているとは思わない。
育児と仕事の両立は想像するだけで疲弊する。愚痴のひとつも言いたくなるはずだ。
ただ、「好きに生きられる」という言葉は、独身でいることを軽く見ているようにも聞こえた。
自由に見える生活の裏に、それなりの重みがあることは伝わらないものなのかと思った。誰かを待つ気持ちも、一人の夜の長さも、表から見ればただの「自由」に映るのかもしれない。
それでも「そんなことないよ」と返すのも違う気がして、結局「大変だね、頑張ってるんだね」と当たり障りなく答えた。
同期は「そう言ってくれてありがとう」と笑った。
そのまま他愛ない話が続き、昼休みの終わりに改札前で別れた。
帰り道に消えなかった引っかかり
職場に戻る道を歩きながら、あの一言が頭から離れなかった。
傷ついたというより、何かがすれ違ったという感じだった。
友人関係に優劣などないと思っている。既婚だから偉い、独身だから自由、そんな単純な話ではないはずだ。
それでも相手がそう思っているとしたら、少し悲しい。
自分の生活を「好きに生きている」と言い切られると、何年もかけて積み上げてきた日々が一枚の絵葉書みたいに薄く見られているようで、居心地が悪くなる。うまく言葉にできないのが余計にもどかしかった。
次に会うときも同じように笑顔で聞けるだろうかと考えた。たぶん聞けると思う。同期のことが嫌いなわけでもないし、これからもずっと続けていきたい大切な付き合いだとも思っている。
それでも、あの昼休みの後味は、いつまでも胸のどこかにくすぶっていた。
※tendが独自に実施したアンケートで集めた、40代・女性読者様の体験談をもとに記事化しています
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。














