伯母「亡くなるまで返してもらえなかったって」→母を見送った夜、罵る声に立ち尽くしたワケ
届かなかった悔やみ
長男の私が喪主を務め、母の葬儀を終えた。あまりに急な別れで、悲しむ間もなく日が過ぎていった。
葬儀の片付けがひと段落した夜、母の姉から電話がかかってきた。久しぶりに聞く声に、私は少しほっとした。妹を亡くした姉も、さぞつらいだろう。互いに労り合えるのだと、そのときは思っていた。
「亡くなるまで返してもらえなかったって」
受話器越しの声は、悔やみではなかった。
生前、母が姉に漏らしていたという。あの子に貸した金を、亡くなるまで返してもらえなかった、と。
「長男のくせに、なぜ返さなかったの」
言葉が、棘のように刺さった。借りていたのは事実で、返せていないのも事実だ。
だから、うまく反論できなかった。喪服を脱ぐ間もなく受けた電話だった。
向き合えなかった声
返せなかったのには、口にしづらい事情があった。数年前、暮らしていた地域が災害に見舞われ、勤め先ごと生活の基盤を失ったのだ。
職を探しながら、ただ食べていくだけで精一杯の日々が続いた。蓄えは底をつき、人に頼れる立場でもなかった。
少しずつでも返していこうと決めて、母にもそう話してあった。母は急かすこともなく、ゆっくりでいいと笑ってくれていた。
その約束を果たす前に、母は逝ってしまった。
「被災して、仕事も無くして」
そこまで言って、私は口をつぐんだ。被災のことも生活のことも、母の姉には関わりのない話だ。並べたところで、ただの言い逃れに聞こえる気がした。
「そんなの言い訳でしょう」
予想した通りの言葉が返ってきて、私は黙るしかなかった。母を送ったばかりの、一番つらい夜だ。励ますどころか、身内から責め立てられている。
そのことのほうが、借金よりずっと胸にこたえた。
あの人も、妹を失ったばかりだった。悲しみのやり場がなくて、矛先がこちらに向いただけなのかもしれない。頭ではそう思える。
それでも、釈然としない気持ちは、いつまでも残った。せめて一言、大変だったわね、があれば違ったのにと、今でも思ってしまう。
あの電話を境に、母の姉とも、その娘の従妹とも疎遠になった。法事の連絡も、こちらには回ってこなくなった。
何年経っても、自分から連絡を取ろうという気には、どうしてもなれずにいる。
母に返したかった。落ち着いたら、と先延ばしにした自分も悪い。
けれど、あんな夜に、母の姉の口から告げられたかったわけではなかった。母との約束は、母との間だけのものだったはずだ。
やり場のない悔いだけが、今も静かに胸の底に残っている。
※tendが独自に実施したアンケートで集めた、60代以上・男性読者様の体験談をもとに記事化しています
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。














