「昨日の鍋の残りだけど」初めての挨拶で出された雑炊→義母の考えに納得いかなかった結果
土鍋の底に沈んでいたもの
結婚前、初めて彼の実家へ挨拶に行った。義母の手料理が食べられると聞いて、内心とても楽しみにしていた。
食卓に出てきたのは、湯気の立つ雑炊。
けれど鍋の底に沈んでいたのは、身を外したあとのカニの脚と殻だけだった。
「昨日の鍋の残りだけど」
義母は悪びれもせず、そう言ってよそってくれた。前日に家族でつついたカニ鍋の、雑炊だった。
その場では何も思わなかった。味は素朴でおいしかったし、私もにこやかにいただいて帰った。
遠ざかっていく背中
違和感が形になったのは、家に帰ってからだ。初めて訪ねてきた相手に、昨日の残りを平然と出す。悪意があればまだ分かる。悪意がないことのほうが、ぞわりときた。
「もうお客様じゃないから」
結婚してから、義母は何度もこう口にした。最初は遠慮のない関係を望んでいるのだと思った。
でも違った。私を気遣う、という発想がそもそも棚に入っていなかったのだ。家族とは気を遣わない関係、ではなく、最初から数に入れない関係。
そういう意味だと、暮らすほどに分かってきた。
結婚式では親族のバス手配を、夫に相談もせず式場へ直接かけていた。家を建てる契約をすませた後になって突然反対し、わざわざ担当者を呼びつけたこともある。
そのたびに私は説明を試み、つい声が大きくなった。
「なんで先に言ってくれないんですか」
「あなたのためを思ってよ」
そう返されるたび、言葉が宙に浮いた。何十年も外との接点を絶って生きてきた人で、話が通じる手応えがまるでない。
怒っても泣いても、壁に向かって喋っているようだった。意見の食い違いなら、まだすり合わせようがある。けれど義母との間にあったのは、そもそも会話が成り立たないという種類の隔たりだった。
いつしか私は、義母を変えようとするのをやめた。世の中には、人として向き合うこと自体が難しい相手もいる。
そう認めてしまったほうが、自分が楽になれた。
気づけば夫のほうが先に音を上げていた。実の母にもう期待しない、という顔で、年始すら足を運ばなくなった。
あの雑炊は、いちばん最初に差し出されたサインだったのかもしれない。
「第二おばあちゃん」
子どもたちは義母をそう呼ぶ。一番ではない、控えのほう。誰が教えたわけでもないのに、家族の中で順位は静かに固まっていた。あの雑炊の湯気を、今もときどき思い出す。
※tendが独自に実施したアンケートで集めた、40代・女性読者様の体験談をもとに記事化しています
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。














