「切符がないのは運転手のせいだろ!」泥酔した客が責め続けたバス。車内灯を明るくしたあと足元に見えたもの
缶を次々と開ける乗客
その夜、二十代の私は残業を終えて、帰りのバスの後ろに近い席に座っていました。
発車してまもなく、数列前から男性の大きな独り言が聞こえてきました。
見ると、中年の男性が缶のお酒を片手に、座席へ深くもたれています。
男性は酒を飲みながらだんだん声が大きくなり、そのうち鼻歌まで歌い始めました。
停留所で乗ってきた人たちも、なんとなく男性の近くを避けるように後ろへ移ってきます。私の隣にも、学生らしい女の子が静かに腰を下ろしました。
カーブに差しかかったところで、男性がふらつきながら急に立ち上がろうとしました。
運転手さんがすぐにマイクで声をかけます。
「お客さま、危ないので、停まるまで座っていてください」
男性は運転席のほうを振り返りました。
「わかってるって。大丈夫だよ」
それでも不満だったのか、少し間を置いて吐き捨てるように続けました。
「そんなことより、ちゃんと運転してくれよ」
運転手さんは言い返しませんでした。
「はい。揺れますので、気をつけてくださいね」
男性は何かぶつぶつ言いながらも、再び席へ座りました。
降りる直前に始まった言い争い
しばらくして、男性の降りる停留所に着きました。
男性は運賃箱の前まで行くと、ズボンのポケットを何度も探り始めました。上着にも手を入れ、だんだん表情が険しくなっていきます。
「あれ…ないな。切符、ないんだけど」
運転手さんが落ち着いて答えました。
「お席の周りに落ちていませんか?一度見ていただけますか」
男性は顔をしかめました。
「さっき探したよ。ないんだって」
「足元に落ちているかもしれませんので、もう一度だけお願いします」
すると男性の声が一段大きくなりました。
「いや、降りる時に切符がないのは運転手のせいだろ!」
隣に座っていた女の子が、びくっと肩をすくめました。
運転手さんは少し間を置いてから答えます。
「こちらでは確認できませんので、お手数ですが、もう一度お席の周りを見ていただけますか」
「だから探したって言ってるだろ」
同じ言葉がもう一度、車内に響きました。
私も男性と目が合わないよう、思わず視線を落としました。
それでも運転手さんは声を荒らげません。
「わかりました。車内を明るくしますね。足元も見てみてください」
車内灯が明るくなり、男性は渋々、自分が座っていた席へ戻っていきました。
そのときです。数列前にある男性の席のすぐ横、通路側の床に白い紙のようなものが見えました。
「あの…そこ、何か落ちてます」
思わず声をかけると、男性がこちらを振り返りました。
「え?」
「席の横です。白い紙みたいなのが…」
男性は足元を見て、ゆっくりとかがみました。
拾い上げた紙を見た瞬間、さっきまでの勢いが止まりました。
「……あった」
探していた切符でした。
男性はしばらく黙ったまま切符を見ていましたが、運転席のほうへ戻ると、小さな声で言いました。
「……これだった」
それ以上は何も言わず、切符を手に手続きを済ませると、そのままバスを降りていきました。
扉が閉まると、張りつめていた車内の空気が少しだけ緩んだように感じました。
運転手さんはマイクを入れます。
「お待たせして、申し訳ありませんでした。発車します」
そしてバスが動き出す前、ミラー越しに私のほうを見て、小さく頭を下げました。
「教えてくださって、ありがとうございました。助かりました」
「いえ、たまたま見えただけなので…」
私がそう返すと、隣の女の子もようやく緊張がほどけたように、小さく息をつきました。
大声で責められても言い返さず、必要なことだけを落ち着いて伝えていた運転手さん。その穏やかな声が、今でも印象に残っています。
※本記事は、tendが独自に実施したアンケートで寄せられた20代女性読者の体験談をもとに、プライバシーに配慮し、人物・状況・会話表現などを一部編集・再構成して記事化しています
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。














