「玄関のチャイムは、押さない主義なの」届かなかった回覧板。だが、誤解が解けた瞬間
板が来ない朝
回覧板が来ていない、と気づくのはだいたい朝です。
前の家に配られたはずの案内が、うちの玄関のどこにも見当たりません。
私の住む並びには、数年前に新築が4軒建ちました。
班の順番も、そのときに組み直されています。うちの前は、その4軒のうちの一軒です。
夏祭りの案内が回った週は、2日たっても板が来ませんでした。三日目の朝、隣の家の前で立ち話をしていた班長さんに聞きました。
「うちの班、どこかで止まってますか」
「あら、2日前にお隣が回してるはずよ」
家に戻って、門の脇の宅配ボックスを開けました。
回覧板は、届いていた荷物の下に敷かれるように入っていました。表紙の角が少し折れていて、蓋を閉めた人の几帳面さが、かえって伝わってきます。
押さない主義
その日の夕方、板を次の家へ持っていく前に、隣に寄りました。
「回覧、気づかなくて。次からは声をかけてもらえますか」
「玄関のチャイムは、押さない主義なの」
奥さんは三和土に立ったまま、そう言いました。
責めるでもなく、こちらを困らせるつもりもない口調です。
「ご迷惑かと思って、箱に入れることにしているんです」
「あの箱、道からは見えないんです」
「そうだったの」
そこで会話が途切れました。次の言葉を探しているうちに、玄関の戸が静かに閉まりました。
班長が渡してくれた紙
数日後、班の集まりで顔を合わせたとき、班長さんが一枚の紙を配りました。次の当番と、回す順番が書いてあります。
「一声かけて手渡し。留守なら箱に入れて、次の家に電話を一本」
紙のいちばん下の行に、そう書き添えられていました。誰の名前も出ていません。
「これ、どなたか困ってたんですか」
若いお母さんが聞くと、班長さんは湯呑みを置いて言いました。
「困ってる人がいるうちは、決めごとにしたほうが早いのよ」
隣の奥さんは、その紙を二度ほど読み返してから、鞄にしまいました。帰り道、少し後ろを歩いていた奥さんが、私の横に並びました。
「箱に入れるの、やめます」
「助かります」
それだけの言葉でした。次の回覧から、うちのチャイムは短く二回鳴るようになりました。出ていくと、奥さんは板を渡して、先に背を向けます。それでも、鳴らない日はもうありません。
※tendが独自に実施したアンケートで集めた、50代・女性読者様の体験談をもとに記事化しています
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。














