「お義姉さんは正社員で稼いでいるからいいよね」電話越しに介護を全部丸投げした義弟→数値化した書面の前で凍りついた瞬間
遠方の義弟が決めた「役割分担」
夫の弟は、新幹線で3時間離れた地方都市に暮らしていた。義母の体調が崩れ始めた頃、最初にかかってきたのは、相談ではなかった。
「お義姉さんは正社員で稼いでいるからいいよね」
そう言いながら、義弟は介護の全工程を、まるで会議の議事録を読み上げるように私に振り分けた。
通院の送迎は私、介護用品の購入は私、入院費の立て替えも私、デイサービスの調整も私。
「うちは余裕がない」その一言で、自分の役割欄だけ空白のまま電話を切った。
夫は申し訳なさそうにしていたが、強く言い返すこともしない。
義弟は実家でいちばん下の弟として、両親からも兄からも甘やかされて育った人だった。
私は寮で暮らす息子の生活費の工面と、職場での責任のある仕事を抱えていた。
それでも介護は止められない。早朝の通院、夜中の急な発熱、休日返上の手続き。気づけば、有給は当たり前のように介護のために消えていった。
義弟が顔を出したのは、義母の容態が悪くなった最後の数日と、葬儀の日だけ。
香典袋を差し出すその手は、3年半ずっと、私たちのほうへ伸びてくることはなかった。
数字が語った3年半の記録
四十九日の法要が終わり、親族が座敷に揃った頃、義弟がまた口を開いた。
「これからの仏壇のこととか、お墓の管理とかさ、お義姉さんに任せていい?」
湯呑みを置く義弟の声は、相変わらず軽かった。私はその声を聞きながら、鞄から一枚の紙を取り出して、座卓の真ん中に滑らせた。
表の左には日付。右には金額と有給の日数。3年半のあいだ、私が立て替えた介護費用187万円と、消化した有給64日が、ひとつ残らず数字で並んでいる。
合計欄の赤線を見つめた義弟の顔から、ゆっくりと血の気が引いていった。隣にいた義叔母も、向かいの義叔父も、誰一人として声を発しない。
「これだけの負担を強いて、まだ権利を主張するんですか」
私の声は、自分でも驚くほど落ち着いていた。
怒鳴るでもなく、泣くでもなく、ただ事実を読み上げただけ。
けれど座敷は、夏の終わりの蝉時雨さえ遠くなるくらい、しんと静まり返った。
義弟は、口を開きかけて、そのまま閉じた。何度か言葉を探すように視線を泳がせたあと、最後まで何ひとつ返してこなかった。
その日を境に、私は義弟との連絡を一切絶った。
電話がかかってきても、出ない。
手紙が届いても、開封しない。3年半ぶりに取り戻した穏やかな夜の食卓で、息子の話を笑いながら聞ける幸福が、書面に書ききれなかった分の答えだった。
※tendが独自に実施したアンケートで集めた、40代・女性読者様の体験談をもとに記事化しています
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。














