ドア前でスマホに夢中なまま微動だにしない人→「すみません」を無視して舌打ちした朝、誰も何も言えなかった車内
乗降口を塞ぐ背中
その朝の電車は、いつも以上に混んでいた。
乗り換え客が集まる駅が近いこともあって、扉付近は特に人が密集していた。扉が開くと同時に、各々が降りる準備をしながらじりじり前に動く、そういう時間帯だった。
扉の正面に立ったまま動かない人がいた。
イヤホンをつけてスマホの画面を見続けていて、周囲の動きにまったく気を払っていなかった。
降りようとする人たちがその背中の前で一瞬詰まる。
少し横にずれれば通れるのに、その人は動かなかった。
声を出す人もなく、みんなそっと体をずらしながら通り抜けようとしていた。混んだ電車のなかで、誰もがよけいな摩擦を避けようとする。
そういう空気があった。通勤のたびに繰り返される、小さな我慢の積み重ね。
小さな接触と、鋭い音
降りようとした人の袖がわずかにかすった。ほんの軽い触れ方だった。
「すみません」
声は小さく、丁寧だった。
それでも返事はなかった。スマホから顔を上げもしなかった。
次の瞬間、舌打ちが聞こえた。
触れた方ではなく、触れられた方から。
ちっという音は短くて鋭くて、なぜか車内に広がるように響いた。
降りた人はそのまま足を進め、扉が閉まった。
誰も何も言わなかった。スマホを見ていた人は、そのまま画面に視線を戻した。
誰も正せないまま続く朝
降りた人のことが気になった。
声をかけて、静かに通ろうとしただけなのに、舌打ちをされた。
それはどんな気持ちだったんだろうと思う。
何かを言えばよかったのかもしれない。でも、通勤電車という場所は、知らない人に声をかけることが難しい。
誰もがその場をやり過ごすことを選ぶ。私もそのひとりだった。
怒りでも悲しみでもない、名前のつけにくい感覚だけが残った。
あの舌打ちは、いったい何に向けられていたのだろう。
降りた人へか、混雑へか、それとも自分でも気づかない何かへか。
スマホを見ていた人は、車内がどんな空気になったか気づいていたんだろうか。
気づいていなかったとしたら、それはそれで別の種類の虚しさがある。
気づいていて構わなかったのなら、また違う話だ。
どちらにしても、この問いに答えは出ない。
毎朝同じような電車に乗って、似たような場面に遭遇しても、何も言えないまま終わっていく。
それが日常というものかもしれない。でも、あの舌打ちだけは、なぜか記憶に引っかかったまま残っている。
答えのないまま電車は走り続け、私はその日の仕事をこなして帰った。それだけの話なのに、夜になっても頭の片隅に残っていた。
※tendが独自に実施したアンケートで集めた、40代・女性読者様の体験談をもとに記事化しています
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。














