「うちは代々欠かさずやってきた」同居10年で響き続けた義母の口癖→義母と合わない価値観に抱えたジレンマ
義母の家で始まった新しい生活
妻の実家に義母と同居して、もう十年以上になる。
古い一軒家で、先代から続く慣習が今も日常に溶け込んでいる。
朝に手を合わせ、節目に作法を守る。
自分にはなじみのない習慣だったが、義母のやり方を受け入れながらやってきた。
義母自身は穏やかな人で、無理に押しつけてくることもない。
それでも、ある口癖だけが長年引っかかり続けている。
妻に話してみたことがあるが、「昔からそういう人だから」と笑って流された。
何事もなく済んだとき必ず出る言葉
家族の誰かが無事だったとき、大きなトラブルを免れたとき、義母は決まってこう言う。
「うちは代々欠かさずやってきた」
「だから守られてるの」
口調は穏やかで、自慢しているわけではなさそうだ。
ただ事実として述べているだけのように聞こえる。目を細めて柔らかく笑う表情は、長年そう信じて生きてきた人のそれだった。
そのたびに「そうですね」と返してきた。十年でそれが習慣になった。
ある夜、子どもが自転車で転んで軽い擦り傷で帰ってきた。
安堵したのも束の間、義母がその言葉を繰り返した。
「守られている」という言い方は、反対側に「守られていない」人間を置くことになる。
代々続けてきたから助かる、ならば、続けていない人間はどうなるのか。
気づいてしまったら言葉が出なかった
義母を問い詰めたいわけではない。
長年続けてきた習慣を心から信じているのだろうし、そこに温かみがあることも伝わってくる。悪意があるとは思いたくない。
それでも一度気づいてしまうと、その言葉の重さが変わった。自分がこの家のしきたりに心から溶け込めていないことへの、静かな批評のように聞こえてしまう。
妻に話してみたが「昔からそういう人だし」と笑って終わった。悪意がないことは分かっている。
「そうですね」という返事を続けながら、内側で何かを抱えている。義母のことは嫌いではない。
だからこそ、そのひと言のたびに言葉を失う。長い同居生活の中で、あの言葉をうまく受け流せる日が来るのだろうかとも考える。夕食後の沈黙の中で、そのモヤモヤだけがいつまでも残り続けた。
※tendが独自に実施したアンケートで集めた、50代・男性読者様の体験談をもとに記事化しています
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。














