「今、ここでやるの?」混雑している車内でメイク直しする女性。だが、別の女性の正論で態度が一変
ファンデが漂う満員電車
帰宅ラッシュの電車は人で溢れていた。吊り革は全部埋まり、乗客が互いの肩に触れそうな密度の中で立っていた。
体を斜めにしないとバランスが保てないほどの混み具合だった。
そのとき、近くに立つ女性がバッグからポーチを取り出した。
パウダーファンデーションのコンパクトを開き、ブラシを走らせ始めた。
細かい粉が漂い始めた。換気のきかない密閉された空間で、それは思いのほか広がった。
「今、ここでやるの?」
鼻の奥に引っかかるような感覚があり、隣の乗客が口元を押さえた。しばらくして、もうひとりが続けて咳き込んだ。乾いた咳が車内に響いても、女性は手を止めなかった。
コンパクトのブラシが、チークへ移り、リップへ移る。ひとつひとつ丁寧に、周囲を気にする様子がまったくなかった。
咳をした乗客のほうを一瞬見たようにも思えたが、それだけだった。
周囲の乗客たちも、声を出せずにいた。誰もが不快に思いながら、見て見ぬふりをしていた。それが「普通」の反応だった。わたし自身もそうだった。混んだ電車で、見知らぬ相手に注意するのは、やはりハードルが高かった。
若い女性が静かに放った言葉
少し離れた場所から、若い女性が向きを変えた。鮮やかなビビッドカラーのファッションに身を包んだ、おそらく20代。その人がすっと背筋を伸ばし、落ち着いた口調でこう言った。
「電車でのメイク直しは迷惑ですよ」
車内が静まった。大げさではなく、周囲の空気がわずかに止まったような感覚があった。
メイクをしていた女性は手を止め、若い女性のほうを見た。表情に何か言い返そうとする動きが見えた。
けれど、その視線を追うように周囲の乗客がひとり、またひとりとうなずいていた。咳き込んでいた人も、何も言わずに立っていた人も、誰も若い女性の言葉を否定しなかった。
孤立した状況を感じ取ったのだろう。女性はコンパクトをゆっくりとしまい、次の駅でそのまま降りていった。
言えなかった一言を、見知らぬ誰かが代わりに言ってくれた。あの帰り道は、妙に気持ちが軽かった。
「迷惑をかけているかもしれない」という発想がある人なら、誰かにそっと告げられただけで気づける。そこに届くかどうかが、全部だと思う。あの若い女性は、その届け方を知っていた。
※tendが独自に実施したアンケートで集めた、50代・女性読者様の体験談をもとに記事化しています
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。














