「あ、まちがえちゃった」子供が押したエレベーターのボタン。だが、ドアが開いた時の光景に気まずくなったワケ
卒園おめでとうの、ささやかな約束
下の娘の卒園式だった。私が40後半に授かった、目に入れても痛くない子だ。
式が終わると、娘は真っ先に妻の手を握った。
「ねえ、お洋服買ってくれるって言ったよね?」
「もちろん。頑張ったごほうびだもんね」
妻は財布の中身を思い浮かべるように、少しだけ考えてから言った。
「新しい服、5千円まででね」
「やったあ!」
娘は「五千円あったら、リボンのついたワンピースも買えるかな」と、うれしそうに指を折っている。
卒園という節目を越えた、その晴れやかな笑顔を見られただけで、私は十分に満たされた気持ちだった。
娘の弾んだ声に、私も妻も笑った。
三人で近くの商業施設へ向かう、なんてことのない午後になるはずだった。
上の階で、扉が開いて
売り場は、数フロア上にある。エレベーターに乗るなり、娘が得意げにボタンを押した。
「今日はわたしがやる!」
ところが押したのは、目的の階よりずっと上のボタンだった。
「あ、まちがえちゃった」
妻が笑って娘をなだめる。箱はぐんぐん上昇し、間違って押された最上階の近くで、静かに扉を開けた。
開いた扉の向こうを見て、私は言葉を失った。
まさか、と思った。見間違いであってほしいと、心の中で何度も繰り返した。
妻がよく話していた親しいママ友と、娘の担任だった保育園の先生が、二人きりで立っていたのだ。
運動会でも卒園式でも、当たり前に挨拶を交わしてきた顔ぶれだった。
この階にあるのは、宿泊用のホテルのラウンジだけ。子ども連れで足を運ぶような場所ではない。
二人は私たちに気づくなり、ぎこちなく視線を落とし、どちらも口を開かなかった。
やがて扉が閉じ、二人はさらに上へと運ばれていった。重い沈黙だけが、私たちのエレベーターに残された。
私はとっさに、妻の表情をうかがった。妻もまた、私と同じものを見てしまったのだと、その青ざめた顔でわかった。
その静けさを、娘のひと言が破った。
「パパ、先生とお友だちのママ、なんで一緒にいたの?」
私は、答えに詰まった。妻の横顔も、明らかにこわばっていた。
「…偶然、会ったんだろう」
「そうよ。ほら、早くお洋服見に行こう」
妻はことさら明るい声で話をそらしたが、その手は娘の背を、ぎこちなく押していた。
娘のための服を選ぶあいだも、私の頭からはあの光景が離れなかった。
妻もきっと、同じだったと思う。けれど二人とも、あのことには最後まで触れなかった。見てしまったものを、なかったことにする。それが正しいのかどうか、今も私にはわからないままだ。
※tendが独自に実施したアンケートで集めた、50代・男性読者様の体験談をもとに記事化しています
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。














