「俺にもお前と同じくらいの子供がいるから」反抗期の私を諭した担任の言葉→10年後に再会した時の葛藤
職員室で交わした最後のやり取り
高校3年の冬、卒業間際に私は担任に呼び出された。家でも学校でも反抗的で、ろくに大人の言葉に耳を貸さない生徒だった。
職員室の隅で椅子に座る私に、担任は声を低くして語りかけてきた。
「俺にもお前と同じくらいの子供がいるから、親子問題は分かっているつもりだ」
同じ目線で歩み寄ろうとしてくれた言葉だったと、今ならわかる。
けれど当時の私には、ただの押しつけにしか聞こえなかった。私はろくに考えもせず、刃のように言い返した。
「アンタの子供は娘だろ、うちと一緒にするな」
担任は黙ったまま、肩で小さく息を吐いた。それが在学中に交わした最後のやり取りになり、卒業式でもまともに目を合わせないまま私は学校を離れた。
婚約者から告げられた職業
あれから10年、私は仕事を覚え、人並みに頭を下げる年齢になっていた。
付き合っていた女性と結婚の話がまとまり、両家への挨拶日程が決まったある夜、彼女が父親について話してくれた。
「父はずっと高校の教員をやってきた人なんだ」
そこで挙げられた地元の高校名に、私は箸を止めた。世代も学年の担当も合致してしまう。胸の中で、嫌な予感がじわじわ広がった。
(まさか、あの担任の先生じゃないだろうな)
10年前の自分の声が耳の奥で反響した。アンタの子供は娘だろ。同時に、担任が差し出してくれた言葉も鮮明に蘇った。
「俺にもお前と同じくらいの子供がいるから」
あの穏やかな声を、私は刃で払いのけた。自分の幼さが急に恥ずかしくなった。
玄関で再会した瞬間の絶句
挨拶の当日、彼女の実家のチャイムを押した手が止まっていた。扉が開いた瞬間、目の前に立っていたのは紛れもなく、あの日の担任だった。
記憶の中の姿より穏やかに歳を重ねていたが、視線の角度ですぐにわかった。
先方も気づいたはずだった。けれど顔色一つ変えず、にこやかに迎えてくれた。
「いらっしゃい。話は娘から聞いてるよ」
リビングに通され、ソファ越しに向かい合った。湯呑みを差し出す手も、こちらを見る目尻も、職員室で見た穏やかな先生のままだった。
私はその場で謝るべきか、それとも何も触れず家族として歩み寄るべきか、決めかねたまま頭を下げ続けるしかなかった。
あの一言を覚えていないはずがない。
妻となる人を悲しませないために、あえて触れずにいてくれているのかもしれなかった。
50代になった今でも、どの面下げて義父と呼べばいいのか、答えは胸の奥にしまったままになっている。
あのときの自分を叱り直したい気持ちと、それでも歩み寄ってくれた一家への感謝が、ずっと同じ場所で揺れ続けている。
※tendが独自に実施したアンケートで集めた、50代・男性読者様の体験談をもとに記事化しています
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。














