「家族だから、いいじゃない」祖母に頼りっきりだった伯母。だが、祖母の介護が必要になった時の伯母の対応に絶句
年末年始は毎年、伯母家族が来る家だった
実家には毎年、年末年始に伯母と従姉妹がやってきた。
2週間、長い年は1月を過ぎても荷物がリビングの隅に残っていた。
お金を入れる様子はなかったし、台所に伯母が立つことも滅多になかった。
大掃除も、お節料理の準備も、人数が増えた分だけ祖母と母の手が増えるばかりだった。
それが、20年以上続いた。
不満を口にできる雰囲気ではなかった。
「家族だから、いいじゃない」という空気が、いつも何かを押し込んでいた。
私もそばで見ているだけで、何も言えなかった。
大みそかの夜も、三が日の食卓も、伯母は客のように座っていた。
気にすると嫌な気持ちになるので、子どもの頃の私は正月の間は深く考えないようにしていた。
それでも、元日の台所に立つ祖母の背中だけは、なぜか今でも浮かぶ。
「わかった、あとで連絡する」が積み重なった介護の日々
祖母が寝たきりになってからも、父は伯母に何度か相談の電話を入れた。
施設を探すにも費用がかかる。
通院の付き添いを月に一度でも分担できないか。
医師との面談に出てもらえないか。そういう話をするたびに、伯母の返事は決まっていた。
電話口では穏やかで、否定もしない。
「わかった、あとで連絡する」
連絡は来なかった。電話を入れ直すと、また「あとで」だった。
結局、費用も実務も実家側が全て担った。父は口数が少なくなり、母の顔に疲れが滲んでいった。私はその様子をそばで見ていた。何もできないまま、ただ見ていた。
祖母が亡くなった翌週にかかってきた電話
祖母が亡くなったのは冬の朝で、葬儀には伯母も従姉妹も来た。
受付の対応も、当日の段取りも、喪主側でほぼ全てこなした。
伯母は席についたまま、花輪の前で写真を撮っていた。葬儀の間、私は記帳の列を捌きながら、伯母の後ろ姿を何度か見た。
その1週間後、伯母から電話が来た。形見分けの話、財産の話。
「ちゃんと話し合いの場を設けてちょうだい」という声は、はっきりしていた。
20年以上のお正月、生活費も家事も伯母は関わらなかった。
施設費の相談をしても「あとで」と繰り返した。それなのに、財産の話になると動きが速い。
権利の話は理解できる。でも、それだけでは説明のつかない感情が残る。20年以上の年末年始の重さと、電話一本の軽さが、どうしても釣り合わない。
10年経っても、消えていない。
今は没交渉が続いている。父も、特に何も言わない。弁明も怒りも、もう出てこない。あの電話の声の調子だけが、ふとした拍子に戻ってくる。
※tendが独自に実施したアンケートで集めた、50代・女性読者様の体験談をもとに記事化しています
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。














