「小銭で足りる?1枚ずつ数えるね」長い列ができても誰一人急かさなかったレジ。後日、レジの横に貼られた紙とは
じゃらり、と鳴った台
レジの台で、じゃらりと重たい音がしました。前に並んでいたお婆さんが、口を縛ったビニール袋を逆さにしたのです。
台の上に、硬貨の山ができました。一円玉と五円玉ばかりで、光っているものはほとんどありません。
「小銭で足りる?1枚ずつ数えるね」
お婆さんが、店員さんの顔をのぞき込むように言いました。私は思わず、店員さんの表情を見てしまったのです。
嫌な顔は、少しもしませんでした。それどころか、レジから回り込んで台の反対側に立ったのです。
「じゃあ、私も一緒に数えますね。十枚ずつ並べていきましょうか」
細い指が、硬貨を手際よく分けていきます。お婆さんの手は震えていて、一枚置くのにも時間がかかりました。
「ごめんなさいね、遅くて」
「急ぎませんから、大丈夫ですよ」
数え終わると、金額が少しだけ足りませんでした。
「困ったねえ。どれを置いていったらいいかね」
「一緒に決めましょう。こちらのお魚とお豆腐、どちらが今日いりますか」
「魚は、明日でもいいかねえ」
店員さんは急かしません。ひとつ戻して打ち直し、また足りなくて、もうひとつ戻して打ち直す。それを何度も繰り返したのです。
誰も急かさなかった列
私の後ろには、いつの間にか長い列ができていました。
けれど、誰も何も言いません。かごを持ち替える人、棚をぼんやり眺める人。それだけです。前へ詰めようとする人も、隣のレジへ移ろうとする人もいませんでした。
会計が終わったのは、袋が逆さになってから20分後でした。
荷物を抱えたお婆さんが、深く頭を下げます。
「みなさん、ごめんなさいね。本当にごめんなさいね」
その時、店員さんが台から身を乗り出しました。
「またいらしてくださいね」
私は、あの顔を今でも覚えています。困った顔でも、作り笑いでもありませんでした。ただ、まっすぐに笑っていたのです。
お婆さんは何度も振り返り、そのたびに頭を下げて出ていきました。
数日後、そのレジの横に小さな紙が貼られていました。
「お会計はおつり銭の都合により硬貨20枚までとさせていただきます」
読んだ瞬間に浮かんだのは、あのお婆さんの顔でした。もう、あんなふうには買えないのだな、と。
けれど、店を出る頃には違うふうに思えていたのです。あれは、あの日ひとりで抱え込んだ店員さんのための決まりでした。断れない人に、断らなくていい理由を渡す紙なのだと。
その日も、あの店員さんはレジに立っていました。硬貨を数える手つきは、あの日と同じようにゆっくりでした。
※tendが独自に実施したアンケートで集めた、30代・女性読者様の体験談をもとに記事化しています
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。














