「去年、お兄さん結婚したわよ」兄の結婚をなぜか教えてくれなかった家族。だが、兄から届いたメッセージに納得いかなかったワケ
省かれていた、という感覚
実家に帰るたびに、なんとなく場の温度が違うと感じていた。
それがはっきりした形になったのは、ある帰省の夜だった。
夕食の最中に母が「去年、お兄さん結婚したわよ」と口にした。
さらりとした言い方だったが、父も兄も当然のように黙っていた。
3人はもう知っていた。私だけが知らなかった。
驚きよりも、静かな確認に近い感覚があった。
そういうことが、この家ではずっとそうだったのだと。
兄の大きな決断が私に知らされたのは終わった後で、お祝いを言うタイミングも式に出るタイミングも、最初からなかった。
母は後日「バタバタしてて」と笑ったが、なぜ私だけが知らせてもらえなかったのかという疑問には、誰も答えてくれなかった。
(私は家族の中で、少し外に置かれているのかもしれない)
その感覚は帰省から戻っても続いた。理由を問い詰める気にもなれなかったし、聞いたところで「そんなつもりじゃなかった」と言われるだろうと予感していた。
それが悲しいより、疲れるような感じがした。この家の中での自分の位置が、少しずつ輪郭を持ち始めていた。
「助けてほしい」と届いたメッセージ
それから数年後、父が入院することになった。
兄から連絡が来た。
「いろいろ頼みたい」「動いてもらえると助かる」とも書かれていた。
久しぶりにまとまった文章だった。
父のためにできることはしようと、塗り絵のセットと色鉛筆を手配して送った。
見舞いにも何度か出向いたし、病院への問い合わせも引き受けた。
父のことを心配する気持ちは本物だったし、父のために動くこと自体はよかったと思っている。
でも、兄のメッセージを読み返すたびに、あの夜の食卓が浮かんだ。省かれていたときは何も言ってこなかった。
助けが必要になったときだけ声がかかる。母もそのことを当然のように思っているらしかった。
頼まれたことには応えた。だからといって、何かが解決したわけではなかった。動くたびに、腑に落ちないものが少しずつ積み上がった。「感謝された」という感覚よりも「使われた」という感覚の方が先に来た。
許せたかと問われれば、許せていない。兄への怒りというよりも、ずっと続いてきた家族のあり方への、静かで重いモヤモヤだった。あれは兄だけの話ではなく、この家がずっとそういう形だったのだということが、時間が経つほどよくわかる。
その形を変える術も、今は持っていない。それはまだ、どこにも向かっていない。
※tendが独自に実施したアンケートで集めた、50代・女性読者様の体験談をもとに記事化しています
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。














