「うるさいな」と思ったのに言い出せなかった→音漏れを聞き流した乗客たちと私の胸に残る葛藤
静かな車内に滲む高音
朝の通勤ラッシュが落ち着きはじめた時間帯、電車はほどよく混んでいた。
窓際の席に座り、外の景色を見ながら目的地を待っていると、すぐ横に座った乗客がイヤホンを耳に差し込んだ。
発車して二駅ほどで、音が漏れ始めた。
「チチチ」という高音のビートが、静かな車内に広がっていく。スマートフォンの画面を見ていた指が止まった。思わず首を上げると、横の乗客が曲を替えた様子で、今度はテンポの速いリズムが滲み出してきた。
(うるさいな)
思わず眉をひそめた。
しかし口には出せなかった。
横目でほかの乗客を窺うと、向かいの席の女性が視線を落とし、斜め前の男性が小さく首を動かした。
誰もが音に気づいているのに、誰も動かない。その沈黙が、声をかけることをさらに難しくさせていた。
車内の空気が言葉を封じ込めた
「少し音を下げていただけますか」
その一言が、どれだけ難しいことか。相手が不機嫌になるかもしれない。
場の空気が険悪になるかもしれない。そう考えれば考えるほど、喉の奥に言葉がつかえたままになった。
「うるさいな」
心の中でそう思いながら、視線をスマートフォンの画面に落とした。まわりの乗客も同じだった。誰かが声をかければ変わるはずなのに、その誰かになることを、みんなが避けていた。
電車はその後も駅を重ね、車内の顔ぶれが少しずつ入れ替わっていった。
それでも音は止まらなかった。
乗ってきたばかりの女性がすぐ気づいて眉をひそめ、周囲をひと渡り見回した。
それでも、誰も動かなかった。
自分も何もしていない。
そう思うと、もどかしさがじわじわとにじんできた。
一言でよかった。
でも言えなかった。
その事実が、乗客それぞれの胸のなかで静かに積もっていった。
終点の一駅前、音漏れの乗客はイヤホンを耳から外してポケットにしまい、何事もなかったように降りていった。
注意すれば解決したかもしれない。でも言えなかった。
その事実だけが、駅を出てからもしばらく胸に残り続けた。
※tendが独自に実施したアンケートで集めた、60代以上・男性読者様の体験談をもとに記事化しています
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。














