「お前のせいで離婚した」子どものころから離婚をほのめかしてきた母→ついに実行した日に娘へ放った言葉
幼いころから刷り込まれていた言葉
母がいつも口にしていた言葉がある。
「この人とは離婚したいと思って生きてきた」
「同じお墓には入らない」
子どものころから何度も聞かされてきたから、私にとってそれは特別な言葉ではなかった。
父への不満を、母はいつも子どもに向けて吐き出した。私はその受け皿として育った。心が折れそうになることもあったが、聞き流すことを覚えた。
それが子どもの私の対処法だった。
やがて家を出て、自分の生活を築いた。
実家との距離ができ、母の声を聞く頻度も下がった。
ある時期から、両親が離婚の準備を進めているという話が届いた。
驚きはなかった。ここまで言い続けて、ようやくかというのが正直なところだった。
父からの短い連絡で、離婚の手続きが進んでいると知った。長い年月をかけて、ふたりがそれぞれの道を選ぶ。
それだけのことだと思っていた。子どもとして複雑な気持ちはあったが、ひとまず静かに受け止めた。
成立の翌日にかかってきた電話
離婚が成立したと知った翌日、母から電話がかかってきた。何かを報告する口調ではなかった。
「お前のせいで離婚した」
言葉の意味を飲み込むのに、少し時間がかかった。
私は実家を出て何年も経つ。間に入ったことも、何かをしたこともない。
それなのに、なぜ私が原因になるのか。頭の中で言葉が上手くつながらなかった。
電話はそれで終わらなかった。
母は続けた。
「あなたという不良債権を押し付けられた!」
感情をぶつける相手として、また私が選ばれたのだと思った。
怒りの矛先を向ける対象として、娘はいつも都合がよかったのかもしれない。
母にとって、離婚という出来事を誰かのせいにする必要があったのだろう。その「誰か」として、私の名前が出てくることが。
電話を切ってから、しばらく何もできなかった。
泣けるわけでも怒れるわけでもなく、ただ重たい感覚だけが残った。声を荒げる気力もなかった。
ずっと離婚したいと言っていた人が、それを果たした日に子どもを責める。
それが母という人だった。わかっていたはずなのに、やはり言葉にできないものが胸の中に積もった。答えを求めても出てこないと知りながら、それでもどこかに引っかかったままでいる。
※tendが独自に実施したアンケートで集めた、30代・女性読者様の体験談をもとに記事化しています
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。














