「聖人みたいだよね」誰にも怒らない同僚。しかし、実家近くの野良猫の話で見せた意外な一面
職場の誰もが、その人を聖人のようだと言っていた
近所のパート先に、四十代の女性がいた。声を荒らげたところを見た人がいない、と言われるくらい穏やかな人だった。
品出しの担当が重なると、私もよく助けられた。棚の裏で誰かが不満をこぼしても、その人はすぐに相手を悪く言おうとはしなかった。
「でも、向こうにも何か事情があったのかもしれないよ」
そんなふうに言って、場の空気をやわらげることが多かった。
更衣室でも、ときどきその人の話題になった。
「ほんと、あの人って怒らないよね」
「私だったら絶対、顔に出ちゃう」
「あそこまでいくと、聖人みたいだよね」
私も一緒になって笑っていたし、その評判を疑ったことはなかった。
その日は遅番だった。閉店後の作業を終えて更衣室へ戻ると、ほかの人は先に着替えを済ませていて、その人と私だけが残った。
彼女はベンチに腰かけ、スマートフォンの画面を見ていた。
しばらくして、ふっと息を吐いた。
「……ああ、よかった」
いつもとは少し違う声だったので、思わず振り向いた。
「どうかしたんですか?」
彼女は画面から目を上げた。
「実家の母から。最近、あの猫が来なくなったみたいで」
「猫?」
「野良猫なんです。ずっと実家の庭に来てたんですよ」
聖人のようだと言われていた人が、そこで見せた素の目
彼女はスマートフォンを伏せると、そのまま話を続けた。
「花壇を荒らしたり、玄関の近くを汚したりしてたみたいで。母がずっと困ってたんです」
「それは大変ですね」
「最初は私も、野良猫なんだから仕方ないよって言ってたんですけどね」
そこまで言うと、彼女は少し困ったように笑った。
「でも、毎日のように母から聞かされてたら、私まで嫌になってきちゃって」
「そうだったんですか」
「早く来なくなればいいのにって。毎日そう思ってたの」
普段の彼女からはあまり聞かない言い方だった。
私は返す言葉が見つからず、小さくうなずいた。
すると彼女は、少し言い訳をするように続けた。
「猫が嫌いってわけじゃないんですよ。でも、母も本当に参ってて。だから私も、毎日そう思ってたの」
「ずっと続いたら、しんどいですよね」
そう言うと、彼女は「うん」と小さく答えた。
そしてスマートフォンを鞄にしまいながら、もう一度だけ口にした。
「ほんと、毎日そう思ってたの。だから来なくなったって聞いて、ほっとしちゃって」
その声には、いつもの穏やかさとは少し違う疲れが混じっていた。
「こんなこと言ったら、感じ悪いですよね」
「いや…お母さんからずっと聞いてたなら、そう思うこともありますよ」
私がそう返すと、彼女は少し肩をすくめた。
「ですよね。なんか変な話しちゃった。ごめんなさい」
「いえ、大丈夫です」
彼女は上着を羽織り、鞄を肩にかけた。
「じゃあ、お先に。今日もおつかれさまでした」
「おつかれさまでした」
扉が閉まり、更衣室に私だけが残った。
翌日も、その人はいつもと変わらなかった。若いスタッフが値札を貼り間違えても、声を荒らげることなく一緒に直していた。
休憩室では、また誰かが言った。
「ほんと、あの人って優しいよね。私もあんなふうになりたい」
周りも「わかる」と笑った。
私も、その人が実は怖い人だったとは思わなかった。
ただ、いつも穏やかな人にも、口に出さずにため込んでいる感情があるのだと、そのとき初めて気づいた。
その日の帰り、更衣室ですれ違った彼女は、いつものように小さく会釈をした。
「おつかれさま。また明日ね」
「はい。また明日」
その笑顔は、いつもと同じやわらかなものだった。
※本記事は、tendが独自に実施したアンケートで寄せられた40代女性読者の体験談をもとに、プライバシーに配慮し、人物・状況・会話表現などを一部編集・再構成して記事化しています
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。














