「子どものためだから」と親戚のすすめを断れなかった私たち。帰りの車で決めた家族のルール
親戚の集まりで、話だけが先に進んでいく
年に何度か、夫の実家に親戚が集まる。座卓いっぱいに料理が並び、子どもたちが廊下を走り回る、いつものにぎやかな席だった。
食事がひと段落してお茶が出たころ、話題が娘の習い事になった。
「そういえば、ピアノはまだやってないの?」
叔母に聞かれ、私は「まだなんです」と答えた。
すると、別の親戚がすぐに身を乗り出した。
「近くにいい教室があるわよ。発表会もしっかりしてるし」
「月謝はちょっとするけど、子どものためだからね」
悪気がないことは分かっていた。娘をかわいがってくれているからこその話なのだと思う。
けれどピアノの話が終わると、今度は英会話の話になった。
「英語も早いうちからやっておくといいんじゃない?」
「そうそう。これも子どものためだから」
どちらも我が家の家計を知ったうえで言っているわけではない。ただ、その場では「そんなにいくつも無理です」とは言いにくかった。
「来月からでも始めてみたら?」
そう言われ、私は思わず夫のほうを見た。
夫もこちらを見たものの、少し困ったように笑うだけだった。
「うーん…ちょっと家で考えてみますね」
私がそう答えると、「そうね、考えてみて」と、その場では話が収まった。
帰りの車で、娘が後ろの席で眠ったころ、私は小さく息を吐いた。
「今日、『子どものためだから』って二回も言われたね」
「うん。聞いてた」
夫が苦笑した。
「あなたも何か言ってよ。私だけだと、ずっと断ってるみたいになるじゃん」
「ごめん。俺も、あの場だと何て言えばいいか分からなくて」
「まあ、私も分からないんだけどね」
そう言ってから、二人とも少し黙った。
娘がやりたいものなら、できるだけ応援したい。その気持ちは夫婦とも同じだった。
ただ、習い事にいくらまで出せるのか、何を優先するのか。その肝心なところを、私たちは一度もきちんと決めていなかった。
毎月30分だけ、食卓をその場所にした
信号待ちで車が止まったとき、夫が口を開いた。
「俺たち、聞かれるたびにその場で考えようとするから困るのかもな」
「…それはあるかも」
「先に二人で決めといたら、次はもう少し答えやすいんじゃない?」
その言葉に、私も納得した。
そこで翌月から、月に一度だけ、夕食後の30分を夫婦で家計と予定を確認する時間にした。
家計簿と予定表を食卓に出し、これから必要になるお金を二人で見ていく。
習い事については、「年に一つまでにしよう」と決めた。娘が興味を持ったものがあれば、その中から家計や予定を見ながら考えることにした。
最初の月は、私が数字を読み上げても、夫は「うん」「なるほど」と聞いているだけだった。
二回目になると、夫が自分から電卓を持ってきた。
「月謝だけ見るとそうでもないけど、一年分だと結構するな」
「そうなんだよ。ほかにも必要になるものあるし」
「じゃあ今年は、水泳だけでいいか」
「私もそれでいいと思う」
少しずつ、二人の答えがそろうようになっていった。
その後、また夫の実家に親戚が集まったとき、習い事の話が出た。
「英会話もいいんじゃない?今のうちから始めたら?」
今度は私より先に、夫が答えた。
「ありがとう。でも今年は、水泳を一つやるって家で決めたんだ」
叔母が少し意外そうな顔をした。
「あら、もう決めてたの」
「うん。いくつも一度に始めるより、そのほうがいいかなって」
「そう。じゃあ本人が水泳を楽しんでるなら、それが一番ね」
そこで話題は別のことへ移った。
帰宅してから、娘がふと思い出したように聞いてきた。
「ねえ、うちって会議してるの?」
「会議っていうほど大げさじゃないよ」
私が笑うと、夫も横から口を挟んだ。
「これから何にお金を使うか、お父さんとお母さんで話す日。三十分だけね」
娘は「ふーん」と言うと、それ以上は気にせず自分の部屋へ戻っていった。
親戚が習い事をすすめてくること自体は、たぶんこれからもある。
それでも、夫婦の中で答えが決まっているだけで、以前ほど困らなくなった。
あの帰り道をきっかけに始めた30分は、誰かに言い返すためではなく、私たち夫婦が同じ答えを持つための時間になっている。
※本記事は、tendが独自に実施したアンケートで寄せられた40代女性読者の体験談をもとに、プライバシーに配慮し、人物・状況・会話表現などを一部編集・再構成して記事化しています
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。














