「自分しか撮ってないから」大浴場前で撮影を続ける男性。係の人が3度注意すると、ようやく消えた撮影音
貼り紙の下に座ったまま、その人は画面を掲げた
家族で泊まった宿の、二日目の夜だった。妻と子どもは部屋で休んでいて、私は寝る前にもう一度湯に入っておこうと、一人で大浴場へ向かった。
大浴場の入口は、階段を下りて右に折れたところにある。暖簾の手前には、携帯電話の持ち込みや撮影を控えるよう知らせる貼り紙が並んでいた。
そのすぐ下に、四十代くらいの男性客が座り込んでいた。膝を立て、携帯電話を耳に当てている。静かな廊下だったので、話し声はよく響いた。
「聞こえてるって。今、風呂の前だから。あとでかけ直すよ」
通話を切ると、今度は携帯電話を自分へ向け、何度か写真を撮り始めた。
向きによっては、後ろを通る人も写り込みそうだった。
廊下の先から来た親子も撮影音に気づいたのか、一度足を止め、そのまま引き返していった。
私は少し迷ったあと、男性に声をかけた。
「すみません。ここ、撮影は控えてくださいって書いてありますよ」
男性はこちらをちらりと見た。
「いや、自分しか撮ってないから」
「でも、後ろを人が通りますし…」
「大丈夫だって。そんなに気にしなくてもいいでしょ」
これ以上言っても言い合いになるだけだと思い、私は階段を上がってフロントへ向かった。
三度目まで、係の人は声を荒らげなかった
フロントには係の人が二人いた。私は大浴場の前で撮影している人がいることと、自分から声をかけてもやめてもらえなかったことを伝えた。
「お知らせいただいてありがとうございます。こちらで確認します」
係の人は落ち着いた足取りで階段を下りていった。私も湯に入るつもりだったので、少し後ろから廊下へ戻った。
男性はまだ同じ場所にいた。
係の人は少し距離を取って立った。
「お客様、恐れ入ります。こちらでの撮影はご遠慮いただいております」
男性は携帯電話を持ったまま顔を上げた。
「自分しか撮ってないんだけど」
「ほかのお客様が写り込む可能性がありますので、こちらではお控えください」
二度目の注意にも、男性は不満そうな顔をした。
「ちょっとくらい、いいじゃない」
係の人は声を荒らげず、携帯電話は部屋へ戻すか、希望すればフロントでも預かれることを説明した。
それでも男性が動かなかったため、少し間を置いてもう一度だけ言った。
「恐れ入りますが、撮影はご遠慮ください」
しばらくして、男性は小さく息を吐いた。
「……わかったよ」
ようやく携帯電話をしまい、立ち上がった。そのまま係の人と一緒に、フロントのある階段のほうへ歩いていった。
さっきまで響いていた話し声も、撮影音もなくなった。
私はそのまま暖簾をくぐった。
翌朝、同じ廊下を通ったとき、貼り紙の下には誰も座っていなかった。
※本記事は、tendが独自に実施したアンケートで寄せられた50代男性読者の体験談をもとに、プライバシーに配慮し、人物・状況・会話表現などを一部編集・再構成して記事化しています
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。














