「ねえ、私たち何かした?」6年間、挨拶を交わした隣家全員が突然口を閉ざした。確かめられない状況に抱えたジレンマ
ある週末を境に空気が変わった
引っ越して6年、隣の家とはいい距離感で付き合ってきた。
朝のゴミ出しで顔を合わせれば「おはようございます」。
台風の前日には「お気をつけて」と声をかけ合う。
娘も隣の奥さんと玄関先で話すことがあった。
特別に親しいわけではないが、互いに気にかけている関係だと思っていた。
いつものように「おはようございます」と声をかけた、あの月曜日まで。
隣の奥さんは目を伏せたまま通り過ぎた。
一歩先に踏み出した足が、そのまま止まりそうになった。気のせいかもしれない、と思った。
でも翌日も、その翌日も、同じだった。
隣家のご主人も、大学生の息子さんも、誰も振り返らなかった。
視線だけがこちらに向いて、すぐにそれる。
まるで透明な壁が立ちふさがっているようだった。
「ねえ、私たち何かした?」
夫に聞くと、「俺も同じ扱いだった」と静かに言った。
家族で話し合ったが、誰も思い当たることを挙げられなかった。声が大きかった日、ゴミ出しの時間が少しずれた日、娘の友達が玄関先でにぎやかにしていた土曜日。
そういった場面を一つひとつ並べても、答えにたどり着けなかった。
確かめられないから、終われない
(聞きに行けばよかったのかもしれない)と、何度も考えた。
でも何を聞けばいいのか。
「なぜ挨拶を返してくれないんですか」とは、玄関先で言い出せるものではない。
相手が黙っている限り、こちらから切り出しても、関係をもっと遠くしてしまう気がした。
心当たりがないのに謝りに行くのも、何か違う気がした。
春が過ぎ、夏が来て、年が明けた。
毎朝、門扉を出るときに一瞬だけ足が止まる。
もう慣れたつもりでいるのに、体はまだ覚えている。隣の玄関灯が点いているのが見えるだけで、胸の奥がざわりとする。
今日もまた、隣の家の前には誰もいなかった。
声をかける機会も、理由を知る機会も、来ないまま時間だけが積み重なっていく。
ゴミ出しの曜日に顔を合わせるたびに、足が一瞬だけ止まる。
目が合いそうになって、それがそれる。
あの交流があった日常が遠く感じられる。6年間積み上げてきた関係は、あの週末を境に音もなく変わった。
もしかしたら向こうはもうとっくに忘れているのかもしれない。
でも、何かした覚えのないこちらには、その「何か」だけが今も宙ぶらりんのまま残っている。
朝の玄関の光景は今日も変わらない。答えのないまま、続いている。
※tendが独自に実施したアンケートで集めた、40代・女性読者様の体験談をもとに記事化しています
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。














