「見た目が100%です!」オンライン交流会で豪語するカメラマン。だが、画面に映った本人の姿に絶句した瞬間
第一声に響いた断言
仕事関係のオンライン交流会に参加したときのことだ。参加者がそれぞれ職業と専門を紹介していく自己紹介の時間に、カメラマンの女性が順番になった。初対面の場だからか、みんな少しかしこまって言葉を選んでいた。
彼女が開口一番、画面に向かって叫ぶように言った。
「見た目が100%です!」
画面越しに場がざわついた気がした。カメラマンとして、見た目や印象にこだわりがあるということだろうと思った。職業的な信条なら聞く価値があるし、外見が第一印象を作るのはたしかだ。プロとしての矜持から来た言葉なのだと受け取ろうとした。その道のプロなのだから、言葉に説得力があるはずだ。
その後の話も興味深く聞けるかもしれないと思った。
でも、その言葉を言った本人の画面を改めて見た瞬間、モヤッとするものが湧いてきた。
画面に映ったボサ髪と部屋着
髪はとくに手が加えられておらず、ぼさっとしたまま。服はスウェット素材の部屋着で、首回りも伸びきっていた。
身だしなみが整っているとは言い難い状態で、オンラインの交流会の場としても気になるくらいの格好だった。仕事の場として参加しているなら、もう少し気にかけてもよさそうなものだと感じた。
部屋着で参加すること自体を責めたいわけではない。オンラインなら楽にしていいという考え方も否定しないし、画面越しで相手の服装に細かく求めすぎるのも違うと思っている。参加者の格好は人それぞれだ。
でも、自分で「見た目が100%」と断言した直後にその画面が並んだら、誰だってギャップに絶句する。高らかに掲げた基準を、自分では一ミリも体現していない。
そのちぐはぐさがどうにも拭えなかった。
信念として言っているのか、口癖なのか、それとも被写体には求めるが自分には適用しないルールなのか。どれを考えてみてもしっくりこず、交流会が終わった後も答えは出なかった。画面を閉じた後も、彼女の第一声と部屋着姿だけがぐるぐると頭の中を回り続けた。
翌日、知人に話してみたが「それは絶句するわ」と笑われた。やっぱり自分だけがおかしく感じたわけではなかったらしい。言葉の重みと実態のずれを目の当たりにした夜の感覚は、しばらく抜けなかった。
数か月後、別の機会に彼女と接点を持つ場があった。やはりカメラマンとして仕事をしているらしい。仕事の場ではどうか確認できなかったが、あの交流会で「100%」を体現する努力すら見えなかったことだけは確かだ。
強い言葉を選ぶなら、それなりの責任が伴う。あの夜の第一声は、彼女自身を一番傷つけていたのかもしれない。画面に映ったボサ髪と部屋着の姿は、今も妙にくっきり残っている。
※tendが独自に実施したアンケートで集めた、30代・女性読者様の体験談をもとに記事化しています
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。














