「見本は1枚きりだ。なくしたのも君だ」渡してもいない見本で私を責め立てる課長。だが、私の一言で黙り込んだ
刷り上がった朝顔の500本
刷り上がった束を見て、課長は柄が金魚に変わったと言いました
前日に刷り上がったうちわ500本のうち、仕上がりを確認してもらうための数本を課長の机に置きました。
白い地に、青と紫の朝顔の絵です。
商店街から頼まれた、夏祭りのうちわ500本。
先月決まった柄で、私が段取りをして、隣の刷り場で印刷してもらいました。
町の小さな印刷所に勤めて5年、見積もりと注文の受け渡しが私の仕事です。
8月の朝、始業して間もない事務所です。社長も、仕上がりを見に来ていました。
課長は朝から自分の席を立たず、ときどき手元のうちわであおいでは、白い面を上にして机に伏せていました。
私が置いたうちわを見たとたん、課長の眉がつり上がりました。
「柄は先週、金魚に変わった。」
「見本は机に置いた。刷り直しをしろ。」
課長は、1枚きりの見本を私の机に置いたと言い張りました
変わったとは、初めて聞く話でした。
商店街との打ち合わせに出るのは課長で、私は決まった柄を受け取って刷り場に伝える係です。
柄の変更があれば課長から指示を受けることになっていましたが、注文票は朝顔のままでした。
「見本は、いただいていません」と言うと、課長は社長のほうへ体を向けました。
「先週の金曜、君の机に置いた。」
赤い金魚に水色の波の柄だと、課長は社長に説明します。
「見本は1枚きりだ。なくしたのも君だ。」
私は机の端を見つめました
金曜の私の机に、見本はありませんでした。
注文票にも変更の記録は残っていません。
課長の声は、事務所じゅうに響きます。
「刷り直しの件は、君の評価を下げる。」
「社長、5年いてこれですよ。」
課長は、私の評価をつける人です。証拠もないまま社長の前で言い返せば、言い訳と受け取られ、評価はさらに下がるだけかもしれません。
私は机の端に目を落としたまま、顔を上げられませんでした。
言い訳は聞かないと言われて
言い訳なら聞かないと、課長はうちわであおぎながら言いました
言い終えた課長は額の汗をぬぐい、伏せてあったうちわを急いでつかんで、大きくあおぎ始めました。
「言い訳なら、聞かんぞ。」
顔を上げると、課長の向こうで、社長が腕を組んだまま立っていました。
そのとき、課長が持つうちわの柄が目に入りました。さっきまでは、言い返せる証拠がありませんでした。でも今なら、社長の目の前で言えます。
課長のうちわの表には、赤い金魚と水色の波が描かれていました
私は手のひらを上に向けて、課長のうちわを示しました。
「課長、見本であおいでいます。」
表には、赤い金魚と水色の波。さっき課長が社長に話した柄です。うちの印刷所では、まだ金魚柄のうちわを刷っていません。
課長自身も、金魚柄の見本は1枚きりだと断言したばかりです。
思い返せば、打ち合わせから戻った日から、課長の机には見慣れないうちわがありました。
課長はいつも白い裏側を上にして伏せ、あおぐときも白い面をこちらに向けていたため、私は柄に気づかなかったのです。
課長は私の机に見本を置いたと言い張っていました。しかし、課長が今手にしているのは、その見本と同じ柄のうちわです。
慌ててつかんだ今朝だけ、絵柄のある表面がこちらを向いていました。課長の手が、胸の前で止まります。
評価から引くと社長に言われ、課長は背を丸めました
「これは、俺の控えだ!」
「1枚きりの見本は、課長の手の中です。」
見本は1枚しかないと言ったのも、私の机に置いたと言ったのも課長自身です。もし別に控えがあるのなら、先ほどの説明と食い違います。
社長は机に置かれた注文票を確認し、課長のうちわに目を向けました。柄の変更は注文票に記されておらず、私が新しい見本を受け取った記録もありません。
社長は腕組みをやめ、課長に目を向けました。「刷り直しの分は、課長の評価から下げる。お詫びの電話も、課長から」
課長はうちわを膝の上に下ろし、それきり口を開きませんでした。
※本記事はフィクションです。物語の登場人物、団体、名称、および事件はすべて架空のものであり、実在のものとは一切関係ありません。
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。














