「あんな不良に娘は渡せん」結婚を認めてくれなかった義父。だが、孫を連れて行った時の義父の一言に救われた瞬間
門前払いの覚悟で訪ねた義実家
娘が小学校に上がった年の連休、私は妻と娘を連れて、久しぶりに義実家へ向かった。
足取りは重かった。
義父は学校の先生で、昔から筋を通す厳しい人だった。
ヤンチャだった若い頃の私を、義父は一度も認めてくれなかった。
「あんな不良に娘は渡せん」
妻との結婚を切り出したとき、義父はそう言い放ったという。
お嬢様学校で大切に育てた娘を、私のような男に嫁がせたくなかったのだろう。
妊娠を機に結婚はしたものの、義父が私を家族と認めるまでには、そこから七年もの歳月がかかった。
「今日も追い返されるかもな」
玄関の前で、私は妻に小声でこぼした。妻は「大丈夫」と笑ったが、その手も少し強張っていた。
結婚してからの七年、私は妻を父親から引き離してしまったのではないかと、ずっと引け目を感じていた。
今日こそ、その溝を少しでも埋められたら。そんな淡い期待と、また拒まれるかもしれないという不安が、胸の中で混ざり合っていた。
物干しで揺れていた小さな寝間着
ところが戸を開けた義父は、拍子抜けするほど穏やかだった。
「おう、待ってたぞ」
孫の顔を見るなり相好を崩し、娘を肩車して庭を歩き回る。
あの厳格だった義父が、孫の前ではただの好々爺だった。
妻も目を丸くして、その様子を眺めている。
夕食の席では、日帰りのつもりだった私たちを「泊まっていけ」としつこく引き止めた。
着替えがないと言えば、義父はいそいそと娘の寝間着まで用意してくれた。
翌朝、まだ薄暗いうちに物音で目が覚めた。廊下からそっと外をのぞくと、義父が洗面所で何かを洗っている。
娘が昨日着ていた服だった。それを一枚ずつ丁寧に伸ばし、物干しに掛けていく。
その背中を、私はしばらく声もかけられずに見ていた。
「先生、そこまでしてもらっては」
思わず声をかけると、義父は振り返らないまま言った。
「…お前には、ずいぶん冷たくしたな。すまなかった」
あんなに頑なだった人の、初めての謝罪だった。
「孫をこんなに大事に育ててくれる父親を、俺は見誤っていた」
朝日の差す洗面所で、私はうまく返事ができず、ただ「いえ」とだけ絞り出した。
七年かけて張られていた壁が、小さな寝間着一枚で音もなく崩れていく。あの朝以来、義父は私を「息子」と呼ぶようになった。
玄関で孫と私を待ち構えるその姿は、かつて結婚を拒んだ人とは、まるで別人のようだ。
※tendが独自に実施したアンケートで集めた、50代・男性読者様の体験談をもとに記事化しています
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。














