「1日くらい、別にいいでしょう」30年以上連れ添った妻から流された記念日。正直な気持ちを伝えた結果
当日の朝に消えた予定
その日は、結婚記念日でした。何週間も前から、妻と二人で食事に行くと決めていたのです。
朝、いつもより早く目が覚めました。夜のために腹を空かせておこうと、朝食を控えめにしたほどです。
新聞をたたみながら、妻がこちらを見ずに言いました。
「悪いんだけど、今日ね、友達と出かけることにしたの」
「今日って、今日か」
「うん。誘われたから」
「食事の約束、してたじゃないか」
「1日くらい、別にいいでしょう」
妻はそう言って、湯呑みを流しに運びました。その声には、少しも悪気がありませんでした。
三十年以上連れ添った相手です。意地悪で言っているのでないことは、こちらがいちばんよく知っています。だからこそ、返す言葉が出てきませんでした。
「何か食べるもの、冷蔵庫に入ってるから」
そう言い残して、妻は昼過ぎに出ていきました。
ひとりの食卓と、後日の約束
店に断りの電話を入れました。予約した名前を伝えると、若い声が少し残念そうに応じたのです。
「こちらの都合です。すみません」
受話器を戻して、しばらく居間に座っていました。カレンダーには、私がつけた丸がそのまま残っています。
消してしまうのが惜しくて、結局そのままにしておきました。三十年以上、この日だけは何かしら二人でやってきたのです。
夜は、冷蔵庫の煮物を温めて食べました。テレビの音を大きくしても、箸が茶碗に当たる音のほうがよく聞こえます。
向かいの席には、たたんだままの新聞が置いてありました。窓際のあの席がどんな眺めだったのか、いまも私は知りません。
妻が帰ってきたのは、十時を過ぎた頃でした。ご飯は食べたのかと聞かれて、食べた、とだけ答えました。その日は、それで終わりです。
言えなかったことを口にできたのは、三日ほど経ってからでした。
「あの日な、俺は何週間も楽しみにしてたんだ」
妻は驚いた顔をしました。
「そんなに?だって、あなた何も言わないから」
「言わなくても、分かってくれてると思ってた」
お互いに、大事な予定は勝手に変えない。その場でそう約束を交わしました。
あれから妻は私の予定を先に確かめるようになりましたし、私も妻の約束を尋ねるようになったのです。
夫婦を長く続けていれば、言わなくても伝わると思い込むことがあります。あの夜の静けさは、そのつけだったのかもしれません。
それでも、記念日の話が出るたびに、私はまだ少しだけ言葉を選んでしまいます。
※tendが独自に実施したアンケートで集めた、60代以上・男性読者様の体験談をもとに記事化しています
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。














