「良かれと思ってやったことなんだよ」留守中に部屋へ入った大家。帰宅した妻が最初に気づいた異変
たたみ方の違うタオルが、洗面所に掛かっていた
隣が大家の家だと聞いたうえで借りた部屋だった。
契約の日に、何かあればすぐ言ってくださいと言われ、そのときは心強いとさえ思っていた。
「困ったことがあれば遠慮なくどうぞ。すぐ隣ですから」
「助かります。よろしくお願いします」
妻と二人で暮らして、二度目の夏だった。その日は二人とも朝から出かけていて、戻ったのは夕方の五時過ぎだった。先に上がった妻が、洗面所の前で立ち止まった。
「これ、私こんなたたみ方しないよ」
「朝、掛けたままだったよな」
「台所の窓、開いてる」
並んで台所へ行くと、食器かごの中身が並べ替えられていた。玄関へ戻ると、脱いだままだったサンダルがつま先を外へ向けて揃っている。誰かが入って、そのまま出ていったあとの形だった。
合鍵を持つ人が隣に住んでいると気づいた、あの静けさ
翌朝、庭にホースを引いていた大家に、塀ごしに声をかけた。
「昨日、うちに入られましたか」
「入ったよ。窓が開いていたからね。良かれと思って」
「入る前に、電話をいただくことはできませんか」
「近くまで来たからねえ。良かれと思ってのことだよ」
同じ言葉が、2度返ってきた。責める気持ちよりも先に、私は一つのことに思い当たっていた。
この家の鍵を持っている人が、塀一枚を挟んだ向こうに住んでいる。契約のときに心強いと感じたその距離が、そのまま別の意味に変わっていた。
「鍵は、いくつあるんでしょうか」
「一つだけだよ。台所の引き出しに入れてある」
そうですかとだけ返して、私は塀のこちら側に立っていた。
数を聞いたところで、預けてある以上は返してもらえるものでもない。それは借りている側の私がいちばんよく分かっていた。
大家はホースを巻き取り、こちらへ小さく手を上げてから家の中へ戻っていった。悪気は本当になかったのだと思う。困っている借り手を助けたつもりでいるのだろうということも、話しながら分かっていた。
「良かれと思って、と2度同じ言葉で返された」
その夜、妻は寝る前に玄関の鍵を回して、それからもう一度ノブを引いた。私は台所と洗面所の窓を順番に見て回った。二年やってこなかった手順が、その日から寝る前の形になった。
電気を消すと、壁の向こうから隣の物音が伝わってきた。テレビの音、椅子を引く音、水を止める音。どれも越してきた日から毎晩聞いていた音だった。窓の外の庭からは、撒いたばかりの水のにおいがまだ上がっていた。
※本記事は、tendが独自に実施したアンケートで寄せられた40代男性読者の体験談をもとに、プライバシーに配慮し、人物・状況・会話表現などを一部編集・再構成して記事化しています
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。














