「何もされたわけじゃないのに」顔見知りが集まる公園。誰も悪くないのに私が遠回りを選んだ理由
門の向こうに、顔見知りの人たちがいた
学校の目の前にある公園に、私はだんだん行かなくなった。
歩いてすぐの距離にあり、広くて遊具も多い。
夏には水で遊べる場所も使えて、小さい子から大きい子まで集まっていた。
近所では、いちばん遊ばせやすい公園だったと思う。
ただ、そのころは門のすぐ内側にあるベンチに、顔見知りの人たちが集まっていることがあった。
おつまみを広げながら話している。
奥の遊具へ行くには、その前を通らなければならなかった。
その場で、子どもたちは別のところに出かけているらしいとも聞いた。
だからといって、私はその人たちに腹を立てていたわけではない。
公園のベンチに座って話しているだけで、こちらが何か言うようなことでもなかった。
それでも、門まで来ると足が止まった。
知らない人たちなら、そのまま通り過ぎられたと思う。
けれど、そこにいるのは顔を知っている人たちだった。通れば挨拶をすることになるかもしれない。声をかけられれば、すぐ横を通り過ぎるのも気まずい。
何か嫌なことをされたわけではない。それだけに、自分でもどうしてこんなに入りづらいのか、うまく説明できなかった。
何も起きていないから、誰にも言えなかった
何度か、門の手前まで行って引き返した。
そのまま少し離れた公園まで歩く日もあった。そちらは遊具も少なく、水で遊べる場所もない。
それでも、入口で誰かを気にせずに入れるだけで、私にはずっと楽だった。
家族にも、理由は詳しく話せなかった。
「今日は、どこ行く?」
「今日はうちでいいかな」
「あの公園は?」
「ちょっとね」
それ以上の言葉が出なかった。
誰かに注意されたわけでも、仲間に入るよう強く誘われたわけでもない。だから、どこかへ相談するような話でもないと思っていた。
ただ、顔見知りの人たちが入口の近くにいる。それだけのことで、私は少しずつ別の場所を選ぶようになった。
遠回りすることが、いつの間にか普通になった
しばらくすると、その公園へ向かうこと自体が減った。
最初から遠いほうの公園へ行く。出かけるのをやめて、家で遊ばせる。
そんなふうに選ぶうちに、近くにあるはずの公園が、自分の中では行きにくい場所になっていた。
今でもあのころのことを思い出すと、不思議な気持ちになる。
ベンチにいた人たちは、ただそこで過ごしていただけだった。私が入りづらいと感じていたことも、来なくなったことも、おそらく知らなかったと思う。
遠慮していたのは、私のほうだった。
誰かが悪かったわけではない。それでも、自分には入りづらくなってしまった場所がある。
何も起きていないからこそ、誰にも説明できない。あの公園を思い出すたび、今でもそんな居心地の悪さが残っている。
※本記事は、tendが独自に実施したアンケートで寄せられた40代女性読者の体験談をもとに、プライバシーに配慮し、人物・状況・会話表現などを一部編集・再構成して記事化しています
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。














