「荷物、どけたほうがいいですよ」混んだ電車で荷物を座席に置いていた乗客。注意出来なかった私が見た光景
席がひとつ、荷物で埋まっていた
その日の電車はかなり混んでいました。座席はほとんど埋まり、立っている人のほうが多いくらいです。
私は扉の近くに立っていたのですが、少し離れた座席に大きな荷物が置かれているのが見えました。その隣には一人の乗客が座り、ずっと手元の画面を見ています。
電車が駅に着くたび、さらに人が乗ってきました。
杖を持った人も乗ってきて、空いている席を探すように車内を見回します。小さな子どもを連れた人も、その座席をちらりと見てから奥へ進んでいきました。
けれど、荷物は動きません。
私も「誰か座りたいんじゃないかな」と気になっていました。でも、知らない人に注意するのはやはり勇気がいります。
「荷物、どけたほうがいいですよ」
頭の中では何度かそう言ってみるのですが、実際には声が出ませんでした。周りの人たちも同じなのか、その席を見ても、すぐ目をそらしていました。
「ここ、空けてもらえますか?」
次の駅で、一人の人が乗ってきました。
その人も最初は空いている席を探していたようです。そして荷物が置かれている座席の前まで来ると、少しかがむようにして声をかけました。
「すみません」
荷物の主はまだ画面を見ています。
すると、その人はもう一度、今度は少しだけ声を大きくしました。
「あの、すみません。混んできたので、ここ空けてもらえますか?」
荷物の主が、はっとしたように顔を上げました。
「え?あ……すみません」
周囲を見回してから、慌てたように荷物を抱えます。
「こんなに混んでたんですね。気づかなかったです」
荷物はすぐ足元へ移され、一席分のスペースが空きました。
声をかけた人は自分が座るのかと思いましたが、近くに立っていた杖の人のほうを見て、軽く手を差し出しました。
「よかったら、どうぞ」
杖を持った人は少し驚いた顔をしてから、「ああ、すみません。助かります」と腰を下ろしました。
そして荷物をどかした人にも、「ありがとうございます」と小さく頭を下げます。
「いえ、こっちこそすみませんでした」
荷物の主も、少し気まずそうにそう返しました。
強く言わなくても、ちゃんと伝わった
それだけのやり取りでした。
誰かが怒ったわけでも、周囲から責める声が上がったわけでもありません。
荷物の主も、そのあと何度か足元を気にしながら荷物を自分のほうへ引き寄せていました。
私は少し離れたところから見ていて、「ああいうふうに言えばよかったのか」と思いました。
注意しようとすると、つい強い言葉を選ばなければ伝わらないような気がします。でも、「空けてもらえますか」と普通に頼むだけでも、相手が気づいてくれることはあるのだと思います。
今でも混んだ電車で似た場面を見ると、あの日の「すみません」という声を思い出します。
※本記事は、tendが独自に実施したアンケートで寄せられた60代以上男性読者の体験談をもとに、プライバシーに配慮し、人物・状況・会話表現などを一部編集・再構成して記事化しています
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。














