「おい!今月の電気代、先月より1円高いじゃないか!どういうことだ!説明しろ!」
ダイニングテーブルに叩きつけられた一枚の明細書。夫の健太が、鬼の形相で私を睨みつけていました。彼の指差す先には、前月比「+1円」の文字。たった、1円。そのために、私は家族の前で、まるで犯罪者のように問い詰められているのです。
結婚して10年。外面は良く、エリートサラリーマンとして通っている夫の、これが本当の姿でした。家計は全て彼が管理し、私に渡されるのは最低限の生活費だけ。毎晩のようにレシートのチェックは当たり前。「これは何故買ったんだ」「もっと安い店があっただろう」という詰問が、私の心を少しずつ蝕んでいました。
積み重なる屈辱と、静かな決意
「お前は主婦失格だ。俺がどれだけ苦労して稼いでいると思ってるんだ」
1円の差額を理由に、人格否定の言葉を浴びせられ続ける。子供たちの前で、私はただ俯いて唇を噛み締めることしかできませんでした。悔しくて、情けなくて、涙がこぼれそうになるのを必死で堪える。
しかし、その日の夜、私の心の中で何かが変わりました。もう、彼の言いなりになって、心をすり減らすのは終わりにしよう。感情でぶつかっても、彼には勝てない。ならば、彼がぐうの音も出ないほどの「事実」を突きつけてやろう、と。
私の秘密兵器「家計簿アプリ」
実はこの1年間、私は夫に隠れて、スマホの家計簿アプリをつけ続けていました。食費や日用品はもちろん、夫の支出も全て。
彼が「付き合いだ」と言って飲み歩く深夜のタクシー代。毎週末のゴルフのプレー代。ボーナスで買う最新のガジェット。私が1円単位で節約している一方で、彼は何万円ものお金を、自分のためだけに自由に使っている。その全てを、私はカテゴリー分けして、一日も欠かさず記録し続けていたのです。
それは、いつか来るこの日のための、私のささやかで、そして執念深いリベンジの準備でした。
全てを物語る、一本の”棒グラフ”
数日後、夫がまたいつものように「今月はもっと切り詰めろ」と説教を始めた時、私は静かに立ち上がりました。
「あなたの言う通り、うちの家計にはまだ無駄があるのかもしれませんね。一度、客観的なデータで見てみましょうか」
私はそう言うと、スマホをリビングのテレビに接続しました。夫が怪訝な顔で見つめる中、画面に映し出したのは、細かい数字が並んだ家計簿ではありません。ただ一つ、シンプルで、しかしあまりにも残酷な「棒グラフ」でした。
グラフのタイトルは【我が家の項目別支出(月平均)】。
「食費」「光熱費」「住宅ローン」…
それぞれの項目が、整然と並んでいます。そして、その横。一つだけ、他の項目を圧倒する、天を突くかのような巨大な赤い棒グラフがそびえ立っていました。
その項目の名は、【夫 個人のお小遣い(趣味・交際費)】。
彼が「1円高い」と激怒した電気代など、もはや点にしか見えないほどの、圧倒的な存在感。誰の目にも、この家の最大の”無駄”が何かは明らかでした。
訪れた「完全沈黙」と、新たな関係
夫は、テレビ画面に映し出されたグラフを、ただ呆然と見つめていました。顔はみるみるうちに青ざめ、何かを言おうと口をパクパクさせていますが、言葉にならないようです。
「こ、これは仕事の付き合いで…」
ようやく絞り出した言い訳は、巨大な赤い棒グラフの前では、あまりにも虚しく響きました。
私は、一切彼を責めませんでした。ただ、静かにこう言っただけです。
「これからは、この一番大きな項目から節約を考えていきましょうか。私も、もちろん協力しますから」
皮肉を込めた私の言葉に、彼は何も言い返すことができませんでした。
あの日を境に、夫のモラハラは嘘のようにピタリと止みました。私を「主婦失格」と罵ることも、レシートを一枚一枚チェックすることもなくなりました。自分の浪費という「不都合な真実」を突きつけられ、彼はようやく自分の行いを省みるようになったのです。
私が突きつけたのは、単なる家計簿のデータではありません。それは、支配され続けてきた妻の、静かですが、最も効果的な反撃でした。言葉の暴力に、言葉でなく「事実」で立ち向かったことで、私は初めて、夫との対等な関係と、心の平穏を手に入れることができたのです。