「まだできないの?」スマホ片手にソファから急かす夫。だが、妻がエプロンを渡した結果
スマホ越しに届く催促
その日も、玄関のドアを閉めるより先にスマホの音が聞こえていた。ソファに沈み込んだ夫が、画面から目を離さないまま口を開く。
「まだできないの?」
私はコートも脱がずに台所へ向かった。米を研ぎ、野菜を刻み、味噌汁の鍋を火にかける。
三つの作業を頭の中で組み立てながら、同時に手を動かしていく。背中で夫の視線のなさを感じながら、それでも段取りだけは崩さないように気を張っていた。
「ねえ、あとどれくらい?」
「今始めたばかり。座って待ってるだけなら、そんなに気にならないでしょ」
「腹減ってるんだよ。早くしてほしいだけ」
台所の様子を一度も見に来ないまま、急かす声だけが飛んでくる。私の手は二本しかないのに。
明け渡した台所の三十分
私は包丁を置いて、手を拭いた。そしてエプロンを外し、リビングへ持っていく。
「じゃあお願い」
エプロンを差し出された夫は、きょとんとした顔をした。
「え、俺が?」
「うん。何をどの順番で作るか、あなたが決めて。私は今のあなたみたいに、座って待ってるから」
渋々立ち上がった夫は、冷蔵庫を開けたまま動かなくなった。
何から手をつければいいのか、まるで見当がつかない様子だった。私はソファに座り、あえて夫と同じようにスマホを眺めてみせる。
「……味噌汁って、水どれくらい入れるんだっけ」
「さあ。私に聞かれても、今は待つ係だから」
台所からは、鍋を火にかけたり冷蔵庫を開け閉めしたりする音が、忙しなく続いていた。それでも、なかなか料理は出てこない。
「ねえ、これ次どうすればいいの?順番が分からなくなってきた」
「一つずつ考えるしかないよ。私もいつもそうしてるから」
三十分が過ぎても、食卓に並んだのは半煮えの野菜が一皿だけ。夫は肩を落とし、額に汗をにじませていた。
「ごめん。段取りするだけで、こんなに頭も体も使うんだな。作りながら待たされる気持ち、今日でよく分かったよ。急かして悪かった」
私は黙ってエプロンを受け取り、焦げかけた鍋の火加減を直した。ついさっきまで急かしていた人が、今度は台所で途方に暮れて立ち尽くしている。その姿を見ていたら、これまで溜め込んでいた不満が、静かにほどけていくようだった。
「分かってもらえたなら、それでいいよ」
次の日から、夫は「まだ?」と言わなくなった。代わりに台所をのぞいて、「盛り付け、やろうか」と声をかけてくる。あの夜に明け渡した台所が、我が家を少しだけ変えたのでした。
※tendが独自に実施したアンケートで集めた、30代・女性読者様の体験談をもとに記事化しています
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。














