「審判だけはちょっと」誰もやりたがらない審判に立候補した私。当日、他の保護者が判定に納得しなかった結果
誰も手を挙げない審判役に、私は立候補した
息子が小学校六年生だった夏のことです。私たちの地区では毎年、子どもたちが参加するドッジボール大会が開かれていました。
大会前の役決めで、なかなか決まらなかったのが審判です。
「審判だけはちょっと…」
誰かがそう口にすると、周りの保護者も困ったように顔を見合わせました。判定によっては外から声が上がることもあり、気を遣う役だとみんな知っていたからです。
それでも私は手を挙げました。
「ルールは分かるので、私がやります」
息子がドッジボールを習っていたこともあり、普段から試合を見る機会がありました。せっかくの大会なら、子どもたちが気持ちよくプレーできればいい。そんな気持ちでした。
当日は朝から、ほかの係の保護者たちとコートの準備や進行の確認をしました。試合が始まると、私はコートのそばに立ち、ラインやボールの動きを追いながら笛を吹きます。
コートの外から聞こえてきた声
何試合か進んだころ、保護者が集まっているあたりから小さな声が聞こえてきました。
「今の、セーフじゃないの?」
「判定が間違ってるわよね」
最初はそのまま試合を続けました。応援していれば、自分の子どもの判定が気になるのも分かります。
ところが似たような声が何度か続きました。
試合の切れ目に、私は笛を首から外して、その人たちのところへ向かいました。怒っていたというより、このままではこちらも判定しづらいと思ったのです。
「気になるところがあるなら、順番に代わりましょうか。笛はいつでもお渡ししますよ」
そう言って、手に持っていた笛を少し差し出しました。
二人は一瞬顔を見合わせました。
「いや、そこまでは…」
一人がそう言うと、もう一人も小さく首を振りました。笛を受け取る人はいませんでした。
私は「分かりました」とだけ返し、またコートへ戻りました。
最後まで、自分の役目を続けた
その後は、判定に対する声もほとんど聞こえなくなりました。
少しして地区係の方が、試合の合間にお茶を持ってきてくれました。
「ずっと立ちっぱなしですよね。助かってます」
その短い言葉が、素直にうれしかったのを覚えています。
審判をしていれば、全員が納得する判定ばかりにはならないでしょう。応援する側にも、それぞれ思うことがあります。
だからこそ、外から言うだけではなく、実際にその役を引き受ける大変さもあるのだと思います。
誰も受け取らなかった笛を、私はその日の最後まで吹き続けました。大会が無事に終わり、子どもたちが笑いながら帰っていく姿を見たとき、引き受けてよかったと思えました。
※本記事は、tendが独自に実施したアンケートで寄せられた50代女性読者の体験談をもとに、プライバシーに配慮し、人物・状況・会話表現などを一部編集・再構成して記事化しています
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。














