「本当によく気づきますね」同じ階の女性に帰宅時間まで気づかれていた私。玄関を開ける前にするようになったこと
パンを焼き始めた朝
30代の私は、アパートで一人暮らしをしている。同じ階には、40代くらいの女性が住んでいた。
以前は顔を合わせれば挨拶をする程度で、立ち話をするような間柄ではなかった。
2年ほど前の冬、朝ごはんをご飯からトーストに変えた。焼くだけなら時間もかからず、慌ただしい出勤前にはちょうどよかった。
その週のある朝、玄関を出ると、ちょうど廊下にいた女性が私を見て笑った。
「あ、やっぱり。最近、朝はパンにしてるでしょ?」
突然の言葉に、私は思わず足を止めた。
「えっ、分かるんですか?」
「分かる分かる。朝になると、ふわっといい匂いするから」
「そんなに廊下まで匂ってました?」
「そんなに強くないよ。私がパン好きだから気づいただけ」
女性はそう言って笑った。
トーストの匂いが少し漏れていたのだろう。そのときは私も「そうなんですね」と笑って仕事へ向かった。
ところが、それから週に3回ほど、顔を合わせるたびに似たようなことを言われるようになった。
「今日もパンだったでしょ?」
「はい。もう朝はほとんどパンです」
「やっぱりね。朝からいい匂いすると、お腹すいちゃう」
悪意があるようには見えない。ただ、何度も続くと、自分の生活を毎朝確認されているような気がして少し落ち着かなかった。
帰宅時間まで気づかれていた
ある日、仕事で帰宅が遅くなった。翌朝、玄関を出ると女性と顔を合わせた。
「昨日、ずいぶん遅かったね。仕事だったの?」
私は少し驚いた。
「あ…はい。残業で」
「大変だね。玄関の音がしたから、こんな時間に帰ってきたんだって思って」
「音、聞こえてたんですね」
「夜は静かだからね」
言われてみれば、それほど不思議な話ではない。それでも、帰宅した時間まで気づかれていたことが妙に引っかかった。
別の日には、いつもより少し早く家を出ただけで声をかけられた。
「今日は早いね」
「本当によく気づきますね」
半分冗談のつもりで言うと、女性は笑った。
「同じ階に住んでると、なんとなく生活の時間って分かるのよ」
その言葉を聞いてから、私は以前より廊下の気配を意識するようになった。
土曜日のことまで覚えていた
ある月曜日の朝、女性がまた話しかけてきた。
「土曜日、朝から出かけてたよね」
「あ、はい。見かけました?」
「うん。私もちょうど廊下に出たところだったの。急いでたから声かけなかったけど」
私は少しだけ安心した。見てもいないことを知っていたわけではなかったのだ。
ところが女性は、そのまま何気なく尋ねてきた。
「どこ行ってたの?」
「友達と、ちょっと出かけてました」
「そうなんだ。いいねえ」
会話としては、それだけだった。
けれど、その日から玄関を出る前に、私は一度だけ廊下の物音を確認するようになった。
昼休み、職場の同僚にもその話をした。
「同じ階の人にさ、『朝、パン食べてるでしょ』って週に3回くらい言われるんだよね」
同僚は少し笑ったあと、私の顔を見て表情を変えた。
「え、そんなに? 毎週?」
「うん。帰りが遅かった日も気づかれてたし、土曜日に出かけたのも見られてた」
「嫌なことをされたわけじゃないんだよね?」
「全然。むしろいつも笑ってるし、普通に優しいんだけど……」
私はそこで少し言葉に詰まった。
「自分が思ってるより、生活って周りに分かるんだなって思うと、ちょっと落ち着かなくて」
同僚も「それは少し分かるかも」と苦笑した。
今朝もいつものようにパンを焼き、出かける準備をした。
玄関を開けると、少し先の廊下にあの女性がいた。
私に気づくと、いつものように笑う。
「おはよう。今日もパンだったでしょ?」
「……はい。おはようございます」
「やっぱり。じゃあ、いってらっしゃい」
女性はそう言って、自分の部屋のほうへ歩いていった。
私も階段へ向かった。
何かされたわけではない。それでも、あの日から私は玄関を開ける前、ほんの少しだけ廊下の気配を気にしてしまう。
※本記事は、tendが独自に実施したアンケートで寄せられた30代女性読者の体験談をもとに、プライバシーに配慮し、人物・状況・会話表現などを一部編集・再構成して記事化しています
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。














