「世話なんて、誰だってできたんだから」祖母の遺産に不満を漏らす親戚たち。だが、四十九日に明かした事実
祖母の葬儀で始まった遺産の話
祖母の通院の送り迎えは、ずっと私の役目でした。
病院からの帰り道、助手席の祖母はよく古い手帳を開き、その日の出来事を書き留めていました。祖母の世話は、長女である母と私で続けてきました。
今年の春、その祖母が亡くなりました。
葬儀の日の昼、控え室には、それまで2度ほどしか会ったことのない親戚まで集まっていました。
祖母は生前、世話をしてくれた母と私に財産を多めに残すと家族に話しており、遺言も書いていました。
そのことが話題になったのは、お茶が配られてしばらくしてからでした。
「遺言で、そっちが多めにもらうことになってるんだって?」
遠方から来た親戚の男性が、母に尋ねました。
母が答えに迷っていると、母の妹である叔母も口を開きました。
「それなら、葬儀代とか食事代もそっちで負担してもらえるのよね?」
「香典も入るんだし、そのくらいはお願いしたいわ」
母は困った顔でうつむいてしまいました。
私は思わず口を挟みました。
「でも、これまでの通院だって、ずっと私たちが……」
すると、母の兄である伯父が手を振って遮りました。
「送り迎えなんて、車を出しただけだろう。孫が口を出す話じゃないよ」
その言葉に、私は何も返せなくなりました。
祖母を送り出す日に言い争いたくはありません。結局、母と私はそれ以上反論せず、葬儀代も食事代も負担しました。
ただ、祖母のためにしてきたことを「車を出しただけ」と言われた悔しさは、ずっと残っていました。
四十九日に親戚が黙った理由
四十九日の法要が終わり、親戚たちが祖母の家の和室に集まったときのことです。
遺産の話になると、伯父が再び不満を口にしました。
「やっぱり、孫にまで多めに残すっていうのは納得できないな」
叔母も続けます。
「そうよ。世話なんて、誰だってできたんだから」
私はその言葉を聞いて、持ってきていた祖母の手帳を取り出しました。
「ちょっと、これを見てもらえませんか」
「何、それ?」
「おばあちゃんが、いつも書いていた手帳です」
私はページを開き、書かれている言葉を指さしました。
「大事な話があるから集まって、と書いてあります」
伯父が手帳をのぞき込みました。
「それがどうしたんだ?」
「おばあちゃん、生前に何度もみんなに連絡していましたよね。集まってほしいって」
私は一度言葉を切ってから、続けました。
「でも、あの日、来たのは母と私だけでした」
叔母は何か言おうとしましたが、言葉が出てこない様子でした。
私は別のページを開きました。
「施設に入れればいいって言われたことも、ここに書いてあります」
伯父は手帳に目を落としたまま、しばらく黙っていました。
「誰でもできたって言われると、やっぱり悲しいです。おばあちゃんのこと、私たちなりにずっと考えてきたので」
それ以上、言うつもりはありませんでした。
伯父は小さく息をついて座り直しましたが、反論はありませんでした。遠方から来た親戚の男性も、湯のみを手にしたまま黙っています。
隣にいた母は、目元を指でぬぐい、小さくうなずきました。
あの日から、親戚たちが母と私を責めることはなくなりました。
遺産についての話し合いは、今も続いています。それでも、法事で顔を合わせたとき、伯父が送り迎えのことを軽く言うことはなくなりました。
祖母が何度も開いていたあの手帳は、今も仏壇の引き出しにしまってあります。
※本記事は、tendが独自に実施したアンケートで寄せられた20代女性読者の体験談をもとに、プライバシーに配慮し、人物・状況・会話表現などを一部編集・再構成して記事化しています
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。














